☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< まともなことを当たり前にやっていこう | TOP | 「現在」を認識することはむろんできない >>
ささやかに見えて決定的な「みんな視点」
生日ということで、メールをもらって、「みんな九折さんのことが大好きです!!」と言われると、とても安心するということに気づいた。
別に僕でなくてもいいのだ、肝心なのは「みんな◯◯のことが大好きです!!」という、「みんな」のことのほうだ、みんな出川哲郎さんが好きで、みんな今上陛下が好きで、みんなこの街が好きというような、「みんな視点」が愛であり平和なのだと気づいた。
いつも思わされることだが、大きな違いは、一見ささやかに思えるところに現れるものだ、「みんな◯◯のことが大好きです!!」という発想は、それ自体に祝福があり、この発想は誰もが持てるものではない。
自分は◯◯が好き、という、自分視点しか持てない人は、数多くいるはずだ、この人は生涯「みんな」という体験を得ないまま生きることになる、そりゃ他人の好きなものに視点がゼロで、自分が好きなものだけに視点100パーセントなのだから、自分以外の誰かと共にあるということは生涯一度も得られないし、そもそもそれはそういうことを得る必要がないタイプの人だろう。

逆に考えると、たとえば「しょせんカネじゃね?」「女なんてヤレたら何でもいいっしょ」と考えるタイプの人は、その人にとっての「みんな」がそういう存在だということなのだと思う。
「みんなカネが欲しいんスよ」と言われると、「なるほどなあ」という気がして、こちらにもやはり一種の安心感がある、僕と向かう先は違うのだろうが、不安定ではなく、本当に純粋にカネだけをすべてにして進んでいくのだなあということがよくわかる/これは単純に、信仰が違うというようなことであって、僕は他人の信仰に口出しする気にはなれない。
本当に、「男なら誰だって(みんな)、おっぱいの大きな女の子が好きでしょ」「むしろ女を選ぶ理由の半分くらいがそれじゃね」と、「みんな」のことを確信している人も世の中にはいて、そういう人を見ると、「この人はそういう人を "みんな" にして生きていくんだな」と、逆に目覚ましい思いがする/それぐらい、「みんな◯◯が好き」という「みんな視点」は人によって違っており、それぞれが住む世界を隔てている。
「みんな視点」が持てない人は、生涯「みんな」という体験は得ないだろうし、「みんな視点」がギトギトしている人は、そういう「みんな」の中を生きていくのだろう/僕は勝手に「みんな愛と学門が好き」と捉えていて、僕が言うときの「みんな」はそれだ、その埒外なある人のことを、僕は「みんな」の中に取り入れられない、僕が娯楽とストレスのパチンコ屋で「みんな」の中には入れてもらえないことのように、「みんな」という現象は仕組みで括られている。

「みんな◯◯が好き」という視点が持てない人は、どこに行っても「みんな」の中には入れない。

「みんな」の中に入れないというより、そういう人はそもそも誰かのところへ行く必要がないのだ、自分の好きなものしか見えないと定義されているなら、誰かのところへ行ったって、けっきょく自分の好きなものしか見えていないのだから同じだ。
「みんな◯◯が好きなんですよ」というのは、よかれあしかれ平和だ、ただし愛があるかどうかは別で、「みんな学門が好きなんですよ」ならば愛の世界に住んでいるだろうが、「みんなカネが好きなんですよ」ならば力の世界に住んでいるだろう、ずっと愛の世界を行く人もあれば、ずっと憎悪の世界を行く人もあるわけだ/あなたの世界は、みんな何が好きだろうか、あるいは「みんな」はなく、あなた一人だけが何かを好きなのだろうか。
正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |