☆いい女☆で行こう!

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パーティ報告86(2)/「のめり込めないようにデザインされている」
の大戦の中で、日本は「君が代戦士説」という思想で戦った、けれどもこれは物理的には敗北したので、矛を収めねばならなかった。
その後、「革命戦士説」という思想が出現したのだが、これは連合赤軍の同士討ちリンチや、親玉であるソビエトのアフガン侵攻やソビエト連邦そのものの解体によってポシャり、「革命戦士説」も引き下がらねばならなかった。
一方、そうした世俗から離脱して、解脱に至るのだという「自己の超完成説」を元に、カルト宗教が流行したのだが、これはオウム真理教の暴走とクラッシュによって、「危険だ、論外だ」という烙印を押されることになった。
あるいは、高度経済成長からバブル景気の中、「24時間戦えますか」のCMに象徴されるように、「モーレツ社員説」「ジャパニーズビジネスマン説」が掲げられた、これはバブルの破綻でダメージを負いつつも、しばらくはモノづくり日本の中で生き続けた、けれども今日になって、製造業が中国・台湾・韓国に対して競争力を失っていくと、この説では戦えないということになり、戦旗は引き下ろされた。

80年代あたりは、「青春」に生の肯定たる光を見いだす「青春戦士説」が台頭し、その青春は、多く「スポーツ戦士説」と「アムール戦士説」に二分された、スポーツの戦いの中で、越えられない壁を越えるのが青春だとされ、また、少年は少女への恋の中で、越えられない壁を越えるのだ、それが青春だとされた。
けれどもこの説も、現在すでに絶滅したとみなされてよい、このアムールとスポーツの青春戦士説は、「ねるとん紅鯨団」あたりから顕著になり、マンガ「スラムダンク」あたりをピークとし、その後もB'zやミスチルやユーミンやサザンや槇原敬之に支えられながらも、東日本大震災あたりでバッサリと死に絶えている、なぜ震災と青春が関係あるのかはわからないが、原発の安全神話が虚構だったと思い知らされることの中で、重大な人間不信・世の中不信を負ったということは有為にありうる。
青春戦士説には、「ちっちゃなころから悪ガキで」「盗んだバイクで走り出す」「ビー・バップ・ハイスクール」のように、「不良青春説」の戦士(カウンターカルチャーの戦士)もあったが、これもすでにDQN産業に食い込まれて死滅した、一方でファミコン文化やアニメ文化に代表されるサブカルチャー戦士も、ユーモラスな存在としてありえたが、これはオタク文化に変質し、オタク文化がオタク産業になって収益を狙われる段になって、戦士としての力は失われ、ただ搾取される対象になった。
「こうやって、さまざまなものが否定され、ある意味、殺されてきたんだな、こうしてすべてのことに対して、"のめり込めない自分" が作られてきたんだよ、国粋もダメ、宇宙船地球号もダメ、個の解脱もダメ、仕事人間もダメ、青春もダメ、スポ根もダメ、恋あいもダメ、不良もダメ、オタクもダメ、何にも "のめり込めない自分" が、時代の趨勢を経てデザインされてきたんだ、だからそんなものを自分の自然体と思い込まされちゃいけない、ある意味、オウム真理教なんかに対しても、 "のめり込んでいた" という一点については見習うべきなんだ、あとはのめり込んだ自分自身に対して、どれだけ軽薄で居続けられるかなんだよ」

「前のめりで生きないと、逆に危険だ」と、僕は何度も言った。

「ついこのあいだまで、イチロー・ナカタ説と、ジョブズ説が力を持っていたけれども、それもすでに力を失ったね、じゃああとには何が残っているかというと、本当に残っていないんだ、もう自分の部屋でずーっと好きなものだけつまんで暮らしていたいってことしか残っていないんだ、いわば『健康と快適説』だけれど、こんなのもう戦士じゃないし、もはや説でさえないよ」
「前のめりで生きないと、逆に危険だ」と、僕は何度も言った、その後もずっと話し続け、本当の意味が伝わったのは二十四時間後だった、本当の意味が理解されると、理解した人は顔色を失って、「こんなのめっちゃ危険じゃないですか!」と戦慄した、ある女性は「そんなの本当に死んだほうがマシよ」と言った/「ある種の死は、突然やってくるんだ、なぜかその日の夜から、これまで大切だったものが、急に『大切に見えない、大切に感じられない』ってなるんだよ、そうなるともう大半は戻ってこられない、だからわれわれは相当な覚悟をして、戦わないといけないんだよ、まったく厄介なことになってしまったわけだ」。
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