☆いい女☆で行こう!

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強さのフェーズ来たれり

ろいろあって、「強さ」というテーマが必要なフェーズに来たと思う。
もともと僕は、「強さ」ということを推したかったのだが、ここまで「感受性」の理論が突き詰められないと、「強さ」説を推すことができなかったのだ/多くの人が、「強さ」を「感受性」にすり替えて錯覚するので、ここまで長いあいだ、「強さ」説は隠匿してきたことを確認する。
感受性を引き下げて、悟性の照見を得ようとするアプローチを、「リデュース」と呼んでいる/感受性が盛(さか)っていると、物事は「目につく」ばかりで、実は「見えなくなる」からだ、だから感受性を下げるという意味でリデュースと呼んでいる、まあ呼んでいるだけで、誰もまともにできないんだけどね(けれども、できないからこそ、理を先に学ぶ必要があるのだ、できているなら学ぶ必要はねーよ)。
このリデュースが為されるのは、ひとえに「強さ」によってであると断じてよい、もう僕に親しんでくれている人は、誤解しないだろう、「強さ」というのは感受性が盛(さか)って妄信的・やけくそになっている状態を指すのではない、ヤバさや虚しさから目をそらすのは強さではなくて弱さだ、感受性は「見えなくする(目をそらす)」のに機能しているので、感受性のヒートアップは人を弱さに引き込んでいるだけだ。

すべてにおいて、改めて考えろ/ただし、「もし自分が、メチャ強かったらどうか」という視点で考え直せ。
「強い」ということは、デカいことを軽々と為すということだ、すさまじい集中力とエネルギーを、軽々と発揮しつづけるということだ/逆に弱いということは、小さなことに重々しく潰されるということだ、わずかな集中力もエネルギーも、自己陶酔なしには引き出せないということだ。
特にワークショップの連中は、リデュース法を実践してみて、まったくうまくいかないとき、それだけ自分が「弱い」のだと思い知らねばならない、これは公式化してよい、「リデュースができない、わたしはこんなに弱い」ということだ、またいちいち自分の弱さにショゲるぐらい、根こそぎ弱いのを自分に甘やかしてきたということでもある。
今世の中には、ギャーギャーわめく人がいて、「絶対に許さない」とか「絶対にやりたい」とか言っていたりするのだが、これは善悪のどちらということはさしあたり無視して、強いか弱いかでいえば確実に「弱い」ほうだ、強い人というのは鼻歌を唄いながら、けっきょく「なんとかしてしまう」人なのだから/弱い人は必ず、1.ギャーギャーわめくか、2.ギャーギャーわめくのを抑圧して、そのぶん作り物の人格になるかのどちらかだ、何にせよリデュースという実践を前にして、これまで蓄積してきた弱さの決算が明るみに出ようとしているのだった。

強さにシフトしろ。

まったく、どこの誰が何をどうたくらんだのか知らないが、どこかの誰かが、人を弱くする術に長けている、それにしてもその術にあっさりやられてんじゃねーよ、弱いってのは疲れるってことだぜ、疲れやすくなっているのを内心でごまかしている人は、その疲れやすさが弱さから生じていることを己に見切らなくてはならない。
強さは力じゃない、当たり前だ、強さと力を区別しろ、「強いなら力は要らないでしょ」が正だ、「力を手放せるのが強さ」だ、どれだけ大きな力を手放せるかが、その人がどれだけ強いかの実際的な値だ、逆に力の溜め込みが、その人の弱さの実際的な値になっている/闇雲に強くなれと言っているのじゃない、人はそんなに強くなれないだろう、けれども、強さと力を混同してはならない、よりにもよって自分の弱さと強さを逆転したまま生きることになってしまうからだ、たとえ己があまり強くなれなかったとしても、強さと弱さの何たるかを正しく理解だけはしておこう。

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