☆いい女☆で行こう!

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こころの採算と黒字転換

とつ、質問を受けたので、それに回答するような形で。
誰だって、「こころ」の存在に気づくと、それを大切にしようと、思いを改めるものだが、思いを改めた時点から何かが改善するということはまずない。
なぜかというと、これまで「こころ」の存在に気づかず、それをないがしろにしてきたのだから、そのぶんの負債が溜まっているのだ/「こころ」の交歓とその果実を得るためには、これまで自分がないがしろにしてきた量と同じだけ、自分のこころがないがしろにされなくてはならない。
これまで、千のこころをゴミ箱にポイしてきたということは、これから自分も、千のこころを人に向け、そのことごとくをゴミ箱にポイされねばならないということだ、それは採算上妥当というか、しょうがないことだ/けれども、普通の人間にとって、向けたこころをゴミ箱にポイされるというようなことが、一や二ならともかく、百、まして千などというと、物理的に耐えられないのだ、「これから五年間こころを爆裂に向け続けて、無視され続けても一ミリもひずむことなくよろこび続けろ」などというのは、常人にこなせるタスクではない、それでも採算上は当然そういうことになるというのが、なかなかリアルに厳しいことなのだった。

なぜこうしたアンパランスというか、インパクト格差が生じるかというと、人にとって、「力は簡単」ということがあるからだ。
つまり、花畑を育てるのには、たいへんな時間と技術と蓄積と愛と献身が要るが、それを踏み荒らして破壊することには何のノウハウも要らず、半日もかからないということだ、このアンバランスが人の業(カルマ)の厄介さを創り出している。
誰だって、爆弾を放り込めば、街中の建築物を破壊することは簡単なのだ、ところがその破壊した建築物と同じだけ、お前が建造しろと言われると、これはとてつもなくハードになる/ポル・ポトに、焚書して失われた叡智のぶんを、自ら獲得して書きあらわして恢復しろと言えば、「そんなこと輪廻を何回繰り返してもムリっす」ということになる。
もしあなたが、何かを歌って語って、人とつながりたいと望む場合、これまでにゴミ箱にポイして捨ててきた、すべての言葉と声と命のぶんを、自分も同じだけ創り出して、それらのすべてをゴミ箱にポイしてもらう必要が第一にある、このことがふつうムリなのだ、耐えられるわけがない/というわけで、このことのヤバさがあるから、われわれは人に対して「思いやる」ということを自ら封じているところがある、なぜなら本当にこれまでのすべてを思いやってしまうと、もう取り返しがつかないことの総量があまりにデカすぎて震え上がるからだ。

人を千回、傷つけてきたのは「しょうがない」のだが、この先、人に千回傷つけられて、「しょうがない」と言うまで許してもらえない。

こういう、ひどく不都合な構造があるのだ、誰だって人を傷つけて生きてきたのは「しょうがない」のだが、そちらの履歴は数千もあるのに、これから先、自分が傷つけられることについてはひとつひとつ、「しょうがない」とは言えない、「許せない」「耐えられない」という激烈感情付きなのだ/これまでこころの外壁に一万回護られてきた人は、これからは一万回、外壁に激突して「受け入れてもらえない」ということを体験し、そのことごとくを「しょうがない」と引き受けるまで許されないのだ、そりゃ採算上はそうなのだろうが現実的に考えるとあまりにツライ。
僕がこのように語りかけ、僕がなんとかして誰かを笑わせたとしても、そのことは別に評価されないのだが、それが評価されないということは問題ではない、問題は、そうして冷淡だったすべての人は、当然ながらこれまでに冷淡に突き放してきたすべてのものよりハイレベルに到達するまで、冷淡に突き放され続けるしかないということなのだ、きっとその構造を覚悟しないままに、人々は気ままに振る舞っているように思う、それは危険なことであり、それ以上に損なことだ/またそうして冷淡に振る舞うということを、自分で決定したわけではなく、そのように振る舞うように操作されているのだとしたら、これほどひどいマイナスの所業はない。

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