☆いい女☆で行こう!

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ちょっとマジメに「仕事」「役割」の話

が庭aと庭bの手入れをしていたとする。
そこで、新規に庭cの開拓をするので、庭aの手入れを、Aさんに任せたとする。
するとAさんは、承り、「どうすればいいですか」と訊いてくるのだが、そのとき至極当然のこととして、「は? 今まで何を見ていたの?」ということになる。
現代、こういう思考はどうせ不人気なのだろうが、それにしてもいずれは、これを当然とするところにたどり着かないと、われわれは永遠にアホのほうに流れ行くことになってしまう、「どうすればいいのか」は言われなくてもそれまでに自然と見てきていないと頭がヘンだ、「これまで頭の中で何をしていたの、ソシャゲかアニメでも観覧していたのか?」ということになってしまう。

そして、Aさんが庭aの手入れを任されるようになったとしよう。
そのとき、結果的に、「Aさんが庭aの手入れをするようになってから、庭aはグッとよくなって、見違えましたねえ」ということにならないといけない/なぜなら、僕が庭a庭bのふたつに分散していた手入れ(50:50)を、Aさんはひとつの庭aに集中できているのだから、そのぶんの成果が庭aに表れてこないとおかしい。
このとき、Aさんが庭aの手入れを任されるということは、僕の代行をするということではないのだ、このことになぜか必ず言い訳を熱烈にする風習があるが、それはもう聞き飽きた、Aさんが庭aの手入れをするというのは、僕の代行をすればいいということではない、代行というのは臨時(アルバイト)の発想でしかなく、自分がそこに仕事をしたことにはならない。
どうも周囲の話を仄聞していると、仕事とか役割を果たすということについて、「どうしたらいいか」を聞き、ただそれを聞いたとおりに履行して、「誰かの代わりにそれをしました」ということで済むと思っているフシがあるようだ、仕事とか役割とかいうのはそういう退嬰的なことではない/もちろん好き勝手に庭をいじくってよいわけではないのだ、そうではなく、50配分されていたところに自分が100を配分できるとき、どのようにしたらよいかを、これまでジッと見てきてよく知っているということ、聞かなくても「こうすればいいんですよね」と目途がついているということ、それが「学んできている」ということだ。

たとえば消防隊員の映像を見たなら、ほんのわずかでも、消防活動に飛び込んで協力できるようになっていないと、何も見たことにはなっていない。

消防隊員の活動を見て、「わーすごい」と感想を持つことが、学んでいるということではないのだ、「あのホースはあのように接続されて」「あの消火栓はあのように開かれるのだな」ということが、いつのまにか見えていないと、まともな大人の視力とは言えない/消防隊員に「手伝ってくれ!」と言われてから、「はい、何をしたらよろしいでしょうか」と聞き返しているようでは、「もういい!」と蹴っ飛ばされるのがオチだ。
1.この世のすべてを看取り稽古していること、2.代行は仕事のマインドではないこと、3.聞くまでもなく「こうすればいいんですよね」と方向性を知っているということが、学んできているということだ/こんなこと本来僕のような者が言うことではないが、いちおうまともなことのはずなので僕がここでのたまってもそんなに悪いことじゃないだろう、たまには僕だってこうしてまともなことを言うのだ。

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