☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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肯定者の利益

れわれは何かを熱烈に「否定」することができる/「は??? マジありえないんですけど、は??? マジ死んでくれます????」というような形で。
熱烈に「否定」するというのは、単に否定的に思う・考えるということとは異なり、れっきとしたひとつの「行為」だ/インターネットやSNS上を漁れば、いくらでもその熱烈な「否定」に出くわす。
一方で、熱烈な「肯定」というのは、ついぞお目に掛かることがこのごろない、「お前、めちゃめちゃヤるじゃねえか!!」というようなことは、スポーツのスター選手に向けてしか言われない、そしてスター選手に向けて言われているのは種類が異なる/なぜならスター選手に向けて言われているのは、あくまで同国人が国に勝利をもたらしたことの誉れとして称賛しているだけだからだ、われわれは羽生結弦選手を「同国人だから」という背後の理由の上で称賛している。
こんなことを精密に定義する必要はないので、とにかく、われわれの口とその粘膜は、今何かを熱烈に「否定」することにはいくらでも向く予感があるのに、何かを熱烈に「肯定」しようとすると、その気勢は萎れ、言葉はゴニョゴニョと口ごもるのだ。

このところ、思い知ったのだが、どうもこの否定と肯定の狭間で、多くの人が大損をしているようなのだった。
もし自分が、誰かのささやかなGJを、熱烈に肯定できる口と粘膜の持ち主だったならば、「ヤるじゃねえか!!」の気勢のまま、自分も何であれささやかなことを、無数に、熱烈な肯定のまま為していくことができるのに/これが逆転しているからこそ、いま人々の心身はとてつもなく重くなっているということが、このごろになってわかった。
多く、テレビの前などで人は、タレントやお笑い芸人に向けて「うーん、なんかつまんないな、スベっているなあ」と毒づいていることが多いのではないだろうか、少なくとも手を叩いてヤンヤヤンヤと肯定しているような脳天気なムードはこの昨今に見受けられない。
だが、そうして自分の心身、内蔵、口と粘膜が、つまらないものの悪しきを熱烈に否定するのにはたらくのであれば、いざ自分が何か小さなことでも為そうとするとき、これまでに吐き出してきた熱烈な否定は、巡り巡って自分に降りかかってくるのだ、そうするともう否定が熱烈すぎて動けないだろう/このように、単純な損得勘定から考えても、口と粘膜が熱烈に「肯定」を言う人と「否定」を言う人では、否定を言う人は大損で、肯定を言う人が明らかに有利だ、自分がそうして致命的に大損の側へはたらくように仕込まれていることに早く気づかないといけない。

現代、われわれの口は、「死ね」を言うのに確信があり、「ブラボー」を言うのには確信がなく芝居だ。

こんな大損の構造があってたまるか、なんて気の毒マックスなことだろう/さしあたり僕の口は、全力で「死ね−」と言うことより、全力で「サーロインステーキー」と言うことのほうに、確実な自信を持っている、これは我ながら利益ある口と粘膜だ、「女の子ちゃんとか基本的に全員サイコーだよね」みたいなことが平気で言えるわけだが、これによって僕は善行を積んでいるわけではなく、ただ自身を益しているのだ、僕は損するのがとてもイヤーンなので。
女の子ちゃんなんか基本的に全員サイコーなので、じゃあおれもサイコーなのかなと、そしてそうなると基本的にこの世界の全てとか青空とか旅行先とか全部サイコーじゃね? と、もう口と粘膜が言い慣れているので、僕はいちいち無理をするファイトが要らないのだった、このことを僕は「肯定者の利益」と呼びたいと思う/われわれはそれぞれに、「熱烈に肯定する」か「熱烈に否定する」か、あるいは「くぐもって何も行為しない」か、選択する自由を与えられているが、それが自由に選択できるがゆえに、不随して生じる利益と不利益については自己責任を負わされている。

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