☆いい女☆で行こう!

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輝ける時間を生きているか

ういえば先日、免許の更新にいって、久しぶりに二時間の「講習」を受けた。
二時間講習ということは、違反者講習なのだが、東京には原付通行禁止の道路が多すぎるのだ、不意打ちで「原付通行禁止」が現れてアッと思っていると、その出口にきっちり白バイが待っていやがったりする。
まあそれはいいとして、久しぶりに二時間の「講習」を受けたのだが、なんとまあ眠いことか、授業ってこんなにキツかったのかと、久しぶりに思い出した心地がした/そして、ある意味僕がおかしいのだろうが、二時間の講習をする側は、どうもその二時間が「惜しく」ないのだと思った、僕にとっての二時間の使い方とは明らかに回転というか密度が違った。
そして、ただ過ぎ去るように消耗される二時間の、なんと耐えがたいことで、なんと長く感じるものか、何度も壁掛け時計とスマホの時刻を突き合わせて時刻の確認をした、いつまでたっても時計の針が進まない、僕自身がやっているワークショップとはえらい違いだ、ワークショップで二時間なんて序の口というか導入であれこれしていたらアッというまに過ぎ去ってしまうものな。

ああして二時間の「講習」をするのは、別に悪いことではなくて、きっとあれが「ふつう」なのだと思う、いつもキリキリしてウアアアと振りしぼっている僕の側が特殊なのだ、僕自身であんな水増しの二時間を過ごしたことはここ十数年に亘って一度もない。
人は、ある年齢から、またある段階から、自分の時間が惜しくなくなるのだと思う/二時間の講習中、時間が過ぎ去るのを "待っているだけ" というような雰囲気だった、でも思い返せば、記憶の中でほとんどの「年配」はそういう時間の過ごし方をしていたように思う。
僕はワークショップをしているときに、毎回、「どうして朝までやっているのに毎回こんなに時間が足りないんだ」と嘆いているありさまだし、自分がこうやって文章を書き話しているときも、とにもかくにも時間が何十倍でもあってほしいというか、「時間よ、流れないでくれえええ」と心中で叫んでいるほどなのだが、そのこと自体が特殊なのだと、先日の講習以来思うようになった、どうせすぐ忘れるだろうけれど……時間が惜しいのだ、それは時間がないということではなく、僕にとってたとえば二時間散歩するとき、その二時間は気晴らしではなく光に満ちあふれている時間なのだ、事実そうなのだからしょうがないだろう。
というわけで、青少年諸君、時間が惜しくなくなったらオシマイだ、時間の有効活用なんてケチを言わず、輝ける時間の中のみを生きなさい、限られた時間でどう有意義なことをするかではなく、二時間なら二時間で、時間そのものが輝いているのだ、それで初めて輝ける時間の中を生きていくことができる。

二時間の違反講習も、二時間のソシャゲも、二時間が過ぎるのをただ待っているだけだ。

ソシャゲが悪いわけではないし、二時間も勉強するなんてすてきなことだ、だがそういうことじゃない、二時間が過ぎるということに、スパイスを加えてごまかしているだけじゃないか、そういうことはやめるのだ/流れる時間の中を生きるのじゃなく、生きる中を時間が流れていくようでありなさい、時間に対して受け身であることは絶対にやめたほうがいい、あなたは百年間を生きるのではなく、あなたが生きているうちに百年間が流れるのだ、時間に食い物にされるのではなく、あなたが時間を食って生きなくてはならない。
「時は金なり」と言うけれど、カネにひざまずいて生きるなんてイヤだろ、カネがひざまずくようでないとだめだろ、二時間を快適に過ごすかしんどく過ごすかの問題ではなくて、時間そのものをガリガリ食って生きなくてはだめだ、「何万時間でも食いまっせ」というぐらい、時間については貪食であってくれ/実際ワークショップのアホ連中なんか、やらせたら何万時間でもやるだろうな、時間が流れるのを待つだけの受け身なんて、やがてサイテーでサイアクの結果に行き着いてしまうだろう。

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