☆いい女☆で行こう!

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恋あい論への期待とセクシャリティの崩壊2

くづく、正直なところを言えば、僕は今四方に向けて、「えっ、恋あいを探したりしていたの?」と、意表を突かれているところだ、まったくそんな素振りは見えなかったし、そういう気配も態度もエネルギーも感じ取られなかったからだ。
別にバカにしているのではなく、必要な情報だから開示しているだけだ、外見上はまったくロマンスの希求者には見えないということ、このことだって情報として与えられなければ今後の作戦が立てられないだろう。
単純に、「異性を愛してやまない人」には、誰もまったく見えなかったということだ、そりゃ誰だってこんにちの情勢下、プライベートを暴けばヘンチクリンな性器慰撫をしていたりはするのだろうが、それはただの肉欲であって、「異性を愛してやまないうんぬん」ではない、性欲が昂ぶる人というのはたいてい自分の快感と充足感が好きなだけで、それは「異性を愛してやまない」ということではない。
まあそれはいいとして、春夏秋冬がそうであるように、男女というのは本来、霊的なものであってリビドー的なものではなかったということだ、そりゃ春夏秋冬にリビドーの向けようはない/男は男の霊によって成り立っており、女は女の霊によって成り立っていた、それが交合することに不思議があった、というのが旧来の「男女」だった、そりゃわれわれは霊長目なのだから当たり前だ。

われわれは哺乳類(哺乳綱)だが、同じ哺乳類のイヌやネコについて、男らしさや女らしさを見つけはしない、オス・メスというのは単にコンセントとプラグの関係であって、その具体形状を根拠に男らしさや女らしさは成り立っていない。
男女というのは霊的なもので、男は男の命を帯びているから男であり、女は女の命を帯びているから女だったのだが、現代は自我と性欲の嗜好方向で男女が決定するものだと定義されている、これはLGBTに対する単純な非難ではなく、むしろ男の身体にも女の命を帯びたならば、それは女なのだと思う、伝統芸能には昔からそうした女形(オヤマ)の芸がある。
男の霊性に呼応する、何かしらの霊性があるから「女」なのだろう、そして女というのがどういう霊性なのかについては、僕は男だから知らないのだ、そんなもん知れるわけないじゃないか、女として我が身を営んできてはいない僕の肉に女の霊性が発現することはありえない、だからただただ「知らん」というのが正しい。
男が女の霊性を「知らん」のは当たり前のことであって、このごろは女性も女の霊性を「知らん」となった、そうしたら男の側も呼応する霊性が見当たらないので、今度は男の側も男の霊性を「知らん」となった、それでセクシャリティがnothingに向かっていったという、そういう状況だ/責任をなすりつけあってもしょうがない、ただ事実上、男は男の声と言葉が出なくなり、女は女の声と言葉が出なくなった、このことはヘンな中二病やファッションやアニメチック偽装で補うことはできない。

アポロン像は、チンコがあるから男というわけではない。

アポロン像は、ただの男の像だが、その像の立つ向かいには、なんとなく女の像がありうるのだろうなということが、誰の目にもわかる、そのように男女の本質は、具体的なズッコンバッコン(古い言い方)で定義されているのではなく、それぞれに宿っている霊性によって定義されている/当然だが、僕の肉のうちに女の像は見当たらない。
たまに、僕のことを本当に好きになってくれる女性もいるのだが、それにしたって、その女性が何をどうやって僕を「好き」になるのかは、正直さっぱりわからない、僕にとってホモセクシャルの気がまったくわからないというのと同じぐらい、さっぱりわからない、そりゃ僕は男なのだから女の霊がどうはたらくものなのかは知りようがない/そういえば僕がここに書き話す文章も、純粋に男の霊が宿っているだろう、ずっと以前から感じていることだが、僕が「男」でなくなったら、僕にはすることが何一つなくなるのだ。

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