☆いい女☆で行こう!

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WS報告020(1)/「すてきな人」
ークショップは、やっていると楽しくなって、やりきるとハッハッハとなってしまうけれども、厳しくするところは、厳しくしないとなあと思う。
妄想の中を生きたってしゃーないからだ/「すてきな人」と本心から感激してもらえるというのが、実際にはどれだけむつかしいことか。
人に、嫌われないことはできるし、「いい人」になることも、そんなにむつかしいことではない、活発になることも可能だし、空気を読むこともできるだろう、通りのよいキャラになることもできる、だが本当に「すてきな人」と言ってもらえるようになろうとすると、これは根こそぎむつかしい。
本心から感激するほど「すてきな人」なんて、選ばれし中のさらに選ばれし民、超例外のエリートじゃないか、でもそれを目指さないのでは意味がない、ウフフとかすてきな気分に浸ったって、妄想の名を生きているのではしょうもないことだ。

「すてきじゃない」と言われることは、そんなにビビることなのだろうか?
僕はそもそも、女にフラれた回数が数億回もあるので、そのたびに「すてきじゃない」と言われているのであり、今さら「すてきじゃない」ぐらいにビビるような余地は残されていない/むしろ何を爆裂な根拠にして、自分を「すてき」だなんて前提できるのだろうか、僕にとってはそんなこと生涯を通じて一度だってありえないのだ。
自分が「すてき」とか、「ほとんどムリゲーに近いだろ」というのは、自己卑下で言っているのじゃない、ムリゲーに挑戦して突破してしまうのが「生きる」ってことじゃないの?/「すてきじゃない」がいちいち自己卑下になる人は、何かとてつもない誤解をしている、仮免運転中の人が「アイルトン・セナじゃない」と自己卑下しているようなものだ、ダイエーの雑貨服を「ヴェルサーチじゃない」と嘆いているようなものだ。
無数のロマンスと命の燃焼と学門と芸術と情熱と仁愛の物語を傷だらけに生きてきたわけでもあるまいに、どうしていきなり自分が「すてき」前提なのか、そりゃ髪型をかわいくするのはすてきなことだが、それで人の歓喜と感激とハートを撃ち抜くことができるのか、僕はワークショップ中に限っては妄想にウフフと笑いことに一ミリの斟酌もしない、そりゃ立場上しょうがないだろう。

y=ax+bは、真実だが、到達点じゃねえよ。

「初歩」だよ、「入口」だよ、ただそれでも、y=ax+bを、本当に知っているか、使いこなせるのかというと、多くの人はアヤシイのだ、そんな初歩さえあやしいのに、ウフフと笑っていてもしょうがない。
「誠心誠意」って何だ、「知性」「ユーモア」「呼応」「言葉」「思いやり」「命」「共同作業」って何だ、それらはすべて真実だが、到達点じゃなくて初歩であり入口だ、「すてき」なんてまだまだはるか遠い先で、この先のムリゲーを突破していくのが「生きる」ってことじゃないのか、少なくともおれは今でも「すてきな人」なんて言われるのは激烈ムリゲーと思いながら、そのムリゲーをオリるつもりはないぞ。
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