☆いい女☆で行こう!

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WS報告020(2)/「偉大さ」という尺度

は、安室奈美恵さんのファンではなかったが、安室奈美恵というシンガーは、当然程度に偉大なシンガーだったと思う。
いや、「思う」というより、そりゃ偉大に決まっているだろという話だ、ボブディランと比べるものではないし、マイケルジャクソンと比べるものでもない、ただ安室奈美恵さんは安室奈美恵さんだ、安室奈美恵さんが「ザコ」だったとは到底思えない(安室奈美恵さんをザコ扱いするのはさすがに単に頭がおかしい)。
同じく、僕は矢沢永吉のファンではないが、E.YAZAWAは偉大な存在なのだと思う、なぜ偉大なのかという理由は知らない、知る必要がない、偉大なものは偉大と見えればよくて、それは太陽が偉大ということと違いはなく、太陽の偉大さに理由をくっつけてよいほどわれわれ人間はデキがよくない。
そうして考えると、織田信長も坂本龍馬も、クフ王もナポレオンも、ガウディもモネも、偉大な存在だったのだろう/偉大というのは価値観じゃない、偉大というのはただの偉大さであって、悟性によって直接感得される尺度だ、ガンジーが偉大だと感じられない人はもう踏切の横でカンカン発声するぐらいしか生涯ですることはない。

かつて、僕にとって、学生時代の先輩たちは偉大な存在だったし、S先生は偉大な存在だったし、丸の内時代のT部長などは偉大な存在だった、今もその存在の偉大さは変わっていない。
どうも周囲にヒアリングをしていくと、この「偉大」という悟性・尺度を、実は多くの人が持っていないみたいだ、つまり多くの人にとって、自分がファンでない矢沢永吉は「偉大」とは感じられないらしい。
僕が最近知ったことには、この「偉大さ」を感じ取る・見抜く悟性を持っていない人は、何をしても「危険」だということがわかった/「偉大さ」に向かう道が「聖なる道」になるのだが、偉大さがわからないとこの「聖なるホニャララ」の庇護を受けられないので、悪霊に入られ放題になるのだ、植芝盛平と塩田剛三が偉大だと感じられない人は即刻合気道の道場を辞めたほうがいい。
ワークショップの最中、「横隔膜」とか「やわらかーく」とか、「空間のイエス」とか「命」とか、トリニティとか風向きとか、色々言うのだが、これらのことが「偉大」と感じられないなら、正直やっていて危険だ、悪霊にぐいぐい入り込まれてしまう、悪霊とかいうとオカルトだが、悪霊と言ったほうが話が早くていい、十分それに相当するだけのリスクと悪化がやってくるのだから。

偉大さへの悟性は、自分の卑小さを前提に現れてくる。

つまり、安室奈美恵さんが「偉大」に見えないのは、理屈をこねまわして、自分の実感をあれやこれや探りながら、そもそも自分の身が卑小だという自覚がないのだ、だから何者が偉大かを自分が評価・評論するつもりでいる、こういうのはヤバいぐらいのアホなので、両親が全力でこめかみに回転蹴りでも打ち込むべきだ/安室奈美恵さんが当然程度に「偉大」と見えていない人は、自分が同じステージに立ったらどれほどの大惨事が起こるかということに想像がはたらいていないのだろう。
当ワークショップは、たぶんそれなりに、けっこう大切なことを教えているのだ、それを教えるのに吝嗇はないが、教わるそれらをわずかも「偉大」と感じられないのなら、何か誤解しているのだろう、バファリンを飲むみたいにワークが作用するわけじゃない/近年、著名人のスキャンダルや騒動を「凋落」と扱って、猛烈に悪く言うナゾの趣味の人たちがいるが、そういう人たちは本当に、自分の卑小さと著名人の偉大さが見えていないのかもしれない、著名人のすべてが偉大なわけではないけれども、それにしても解散したSMAPに偉大さがゼロのように罵る人は、悟性の根幹がブッ壊れているのだ、単なるやっかみや嫉妬ではなくて、本当に偉大さと卑小さを感得する機能そのものが破損しているのだと思う、当然程度に偉大なものを「偉大」と感じられない人がこの世で学べることは何一つない。

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