☆いい女☆で行こう!

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WS報告020(4)/「魂の大きさ」
つも気魄だの霊魂だの、説明のために言っているが、何もそんなスピリチュアルな、いかがわしいことではない/まともな奴なら誰だって知っているだろ? というたぐいのことを、いちおう精密に理論化して言うために、古くからある「魂魄」という言い方を引き当てただけだ、もし魂魄うんぬんをいかがわしいというなら剣道の連中にキエエエエと叫ばせるのを即刻やめろ、竹刀で打突するのに奇声は何の関係もない。
気魄というのは観測可能なものであり、一方、それと似たような何かでありながら、観測不能なものを霊魂と呼んでいる、それは僕がそう呼んでいるということではなく、魂も魄も、元々の字義がそういう意味だというだけだ、「魂」の偏は「雲・もやもやしている・観測不能なもの」を意味しており、「魄」の偏は「明白・ハッキリしている・観測されたもの」を意味している、この両方がどうやらあるということに気づいて、古人はこの両方を指して「魂魄」と熟語に称した。
まあそれはいいとして、気魄には「強度」があり、霊魂には「大きさ」がある、気魄が弱いと霊力は強くならないし、霊魂が小さいと気概は大きくなりえないということだが、まあどうせそんなハイレベルなことは誰にもわからんしできねーのだ/ただ今回は初等に大事なこととして、魂の大きさについて述べることができた、魂は単に「ある」のみならず「大きさ」というパラメーターを具えて存在している。
統計的に、実にカンタンに言いうることがある、僕が若年者に「ん?」と向き合ったとき、ただちに「圧倒される」「こ、殺される」と感じて笑う人がいて、一方で、そのように「圧倒される」とは感じない人がいる/この双方のうち、前者は魂の「大きさ」に感応しているので、何か知らんが「圧倒される」と感じているのだ、それがいいとか悪いとかの話ではないが、魂に向けて横隔膜のシャッターが開いている人は、大きな魂が突きつけられたとき、「うおっ」と感じて、「お手上げ・バンザーイ」と、ホールドアップ感を覚えるものだ、これは単純に人の「タイプ」を判定(というか判断)するのに使える。

魂の大きさは、「どれだけのものとつながっているか」ということで拡がっていく、そしてとてつもない大きさの何かにまでつながっていった人のことを、古くから「偉大な人」と呼び称してきた、たとえば「マハトマ・ガンジー」と呼ばれるとき、「マハトマ」というのは「偉大な魂」という意味だ、詩聖タゴールがそう冠したらしい。
横隔膜のシャッター(だけではないが)、魂のシャッターを開いて、何かとつながっていかないと、自分の魂は大きくなれないのだが、魂のシャッターを開いたところで、必ずしもつながれる先は、聖霊とは限らない、悪霊ともつながってしまうことがある/そのあたりの事情があるがゆえ、人は状況や環境によっては、合理的な判断としてシャッターを閉ざさねばならないときもあるのだ。
魂のシャッターを開けつつ、悪霊に取り憑かれないためにはどうすればよいかというと、何か先に偉大な、デカい聖霊のものとつながってしまうのがよい、偉大な魂と先につながってしまえば、一種のファイアーウォールみたいなものが張り巡らされ、悪霊は容易には入ってこられなくなる/だから、あなたにとって「信じるもの」「信じる人」、あなたにとって「偉大」と確信されているのは誰? ということが重要になる、偉大と感じるものとつながっていないときは霊的にノーガードの状態になってしまう。
このファイアーウォールやシャッターは、悪霊の侵入を防いでくれるのだが、そう万全ではなく、致命的な弱点がある、それはいかなるバリアをこしらえたつもりでも、自分がヘンなもの「購入」してしまうと、それはバリアーをくぐり抜けてしまうということだ、そりゃ自分で購入しているのだからしょうがない/そしてこの世で売っているものがことごとく聖霊に満ちているなんてことはナイので、シャッターを閉じて色んなものを購入生活していると、知らぬ間に心身は悪霊の棲み家になっているのだった。

「圧倒される」がないなら、何も聞こえていないということだ。

「圧倒される」というのにも、二種類があり、正しい見分けが必要だ、霊魂において圧倒されるときは、「吸い込まれる」という感触があって、気魄において圧倒されるときは「押される」という感触がある、ワークショップ員は「風向き」と捉えるように/魂の大きさとその圧倒が感得できない人は、いつまでたっても「大人」にはなれないだろう、何しろ「大きな人」が「大人」なのだから、大きさがわからないでは自分が大人になどなれっこない。
現代、子供と大人が接したとき、少なからぬ割合の子供が、すでに大人に「圧倒される」という現象を持っていないことがわかるだろう、それは魂のシャッターが閉ざされているからだ、こうなると今後その子の霊魂は、購入物で養われていくしかない、そして現代において、おそらく「購入と貨幣」は、何かしら俗悪のほうへ強力に操作されてしまっているので、現代の子供はどうしようもなく「バケモノ」のようになっていくところがある、まあ大人も子供も同じような状況ではあるが/うーんむつかしい話をしてしまった、とにかく何かを「偉大」と感じ、圧倒される・吸い込まれるというふうに感じないのは根本的にどうかしているのだ。
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