☆いい女☆で行こう!

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意義と存在
日以来、何かもうはっきり見えるようになってしまったが、僕が誤解していたのだ/僕が「存在」を得ているふうには、他の人は「存在」を得てはいないのだ。
いわゆる「存在感」と捉えても、間違いではないだろうが、存在感という捉え方では、またごまかされて混乱してゆくだろう、「存在」という現象は物理的な「感覚」で捉えられるものではないからだ。
当たり前のことだが、多くの人は何十年も、有意義なことを追求して生きているだろう、そして有意義な自分と、有意義な自分の生を誇りにしているはずだ/多くの人にとって、自分が「存在」するというのはそういう感覚・尺度のことだと思う。
だがそれは、厳密に見ると「存在意義」であって、「存在」そのものではないのだ、自分の存在意義の大きさに胸を張る人も、自分の存在意義のなさに肩身を狭くする人も、どちらも主題は「存在意義」であって、「存在」そのものではない。

僕はもう長いこと、一般の逆、「意義のない自分」「無意義」に生きてきたから……
逆に、それだからこそ視えることがある、単刀直入に言えば、有意義な人にとって自分の「存在」は要らないのだ、なぜならもう「意義」があるから/「こんなに意義があるのに、『存在』なんて必要かい?」、と普通はなる。
僕のように、自分の意義をカス化して、それでも自分が存在しているらしい、この無為の「存在」とは何なのか? という、それこそ何の意義もない追求をしないかぎり、こんな視力は得られてこない/わかりやすく言うと、僕は意義視力ではなく存在視力で物事を視ており、物事の見え方がまるきり違うのだ、このことがついにはっきりとわかってしまった。
多くの人は、有意義に生きるということ、そのために本気で生きれば、「生きている実感が得られる」のだと、志して生きているのだと思う、それは間違いではなかろうが、僕のような変人は、逆のことにたどり着いた、僕が知っているのは「生きている実感」ではなく「生きている不思議」だ、なぜか知らないが自分が「存在」して生きている(「生存」している)/このことは無限に「不思議」で、僕の視力はどうやらずっとその「不思議」を見続けるものになってしまったらしい、朝起きたときからずーっと「うーん、不思議だ」とこの世界のすべてが見えてならない。

あなたはわたしであり、すべてのものがひとつに生きていると視えるが、そうして視えるものに何の意義もない。

「意義」なんて言われたら、僕は無一文なのであって、そんなことにお答えできる能力も視力も僕にはない、ただすべてのものはひとつだというのは判るというか、僕の視力は人が「何に困っているか」が視えるようになってしまった、もちろんそれを何かに使うつもりなどまったくないけれども。
これについてどう思うかというと、どう思うということもなくて、どう思うということも不可能だが、なぜか先ほどから大きな海と潮騒と、空ともども広がる青さと水しぶきが聞こえる、そこには一人の女性が立っていて、何かが無性にうつくしくある、これが何なのかはさっぱりわからない。
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