☆いい女☆で行こう!

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意義と存在2
かりやすさのために、ダサい言い方をするけれども、みんな自分の「意義」を手探りしながら生きていて、自分の「存在」を視る能力や発想はカラッケツだ。
「存在意義」と「存在」は違うし、意義視力で存在視力をまかなうことはできないのだが、とにかくわかりやすく言うと、多くの人が、自分の「存在」の空白を「意義」で埋めようと、探求しているように見える、見えるというか絶対にそーだよ、その根本の取り違えが、根本の「困っている」何かを創り出している。
とはいえ、もちろん、こんなこと僕が説教できる筋合いではないので、僕としては「……」と傍観しているしかない、なぜなら<<無意義に生きてきた僕はこの世でまったく偉くない>>からだ、偉くないので何の話も聞いてもらえないのだ、そりゃ僕だって逆の立場ならそうなるだろうからしょうがない/またたしかに、僕の話なんか聞いてもやっぱり無意義ではあるわけだ、初めから無意義とわかっているんだから話なんか聞く気になれねーわな。
これをどうしたらいいのだろう、といって、たぶんどうすることもないし、どうするためのものでもないのだろうが、ただまったく異なるそうした視力、「存在視力」という直接のモンがあるということだけ、ご報告しておきたい/ただし似たようなことを言う奴の大半はウソのオカルトスピリチュアルだから気をつけろよ、「それってわかります」と同調してくる奴もたいていハズレだ。

なんというか……僕としてはただ、おもろい兄ちゃんや、健気な若い女の子が、自分の「存在」を探していて、それでも「意義」のマーケットへたらい回しにされるので、困っている、という状況を見るのがつらいのだ/まして完全な通りすがりの女の子が、ハッと縋るような目で僕とすれ違いざまに出会うことがあり、それでもそのまますれ違っていくしかないというのは、見ていてあまりに胸が苦しい。
ハトでさえ、パン屑を投げたらひょこひょこやってくるのに、若い女の子は、ハッとしたときにひょこひょこやってくることも許されていないのだ、それが教育と常識の結果だというのだから皮肉だ/「意義」で押しつぶされて、「存在」はまったく教わらないでいる、そして「存在」について教えたがる人は、こぞって「意義」を声高に唱え、彼女へ「意義」の重量と加圧をアップするのだ、そんなものでも信じるしかない若年の人はかわいそうだ。
「意義」が悪いと言っているのではなく、意義で存在は埋まらないということだ、だって性質が違うのだもの、蒸留水でPCのメモリが「一杯」になるか? というぐらい、性質が違うのだから埋まらない/「意義」はわれわれの身の内にあるが、「存在」はわれわれの身の内にない、それぞれへの視力はまったく異なる性質への視力だ。
有意義というのは、「有」の字が冠されているように、有限世界への感覚から成り立っている、有限の時間内に何ができるかということが「有意義」だ、比べて無意義から得られる存在視力は、時間軸の干渉がない、数学上に2の平方根を見ることのように、そこに時間は流れていない/多くの、おもろい兄ちゃんや健気な女の子は、「有意義に生きる前にそのことを知りたかった」「有意義に生きる前に、わたしの存在について知りたかった」「有意義に生きるのがイヤというわけじゃないんです、ただ先にそれが知りたかった」と望んでいる。

せめて、誰と生きたということを、「意義」にはしたくないと、抱えて守っている。

僕には何の意義もないからな/ただ僕があるとき、ある人の二の腕にぽんぽんと触れたとき、その人の「存在」がたちまち全身に恢復されていくのを見て、僕は少し自分が怖くなった、こうした「存在」の恢復は、本来僕が与えるようなものではない、とはいえ今や無意義に生きているようなアホは僕しかいないのだからしょうがない、ちなみに「無意義」というのは「有意義を目指して失敗したヤツ」じゃねえーぞ、そんなのは消費者金融にいけばいくらでもいるだろう。
自ら「意義」を唱えた人、「意義こそが存在である」と、誰かに教えてまわった人は、もう引き下がれないので、僕からその人に「触れる」ということはもうできない/僕が触れたのは二の腕ではなくて、その人が抱えて守ってきたそれ自体だ。
 
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