☆いい女☆で行こう!

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病床模索3/対等性は多大な損失を前提にしている
二日間休んで、こうして再び書き物へ向き合ってみると、この現代の四方八方から、「ガツンガツン」ぶつかってくるものがある、というのがわかる。
このぶつかってくるものに対しては、技術的には、「勢いを聞く」というやり方で向き合い、その上でコミュニケートすることができるのだが、いちいちこの「勢いを聞く」をしているせいで、実は本当のことをまったく話せない、という状況になっている。
たとえば今、世の中には強烈なフェミニズムやミサンドリー、あるいは逆向きのミソジニーなどが吹き荒れていて、僕が強烈なフェミニストにしてやれることというと、そのフェミニズムを加速してやることなのだ、僕が彼女にとって「プラス」になるというのは、唯一それだけでしかなく、このことに一切のごまかしは利かない。
僕は男性なので、それだけで不快で死刑で大キライという人はいくらでもいるのだが、そうした人に向けて「プラス」になろうとすると、技術的にはそれを「加速」させて送り出すしかないのだ、この技術はシビアなものなのでどうしようもない、その加速を受けた人は加速のついたまま本人の「本望」に突撃することになるのだが、正直なことをいえば、そうした人はとんでもない不幸に行き着くと、僕は勝手に思っている/このように、本当のことはろくすっぽ話せていなくて、ただ技術的に「ガツンガツン」くるものを加速して送り出すしかすることがないのだ。

「対等」というと、本当にこれしかないのだと、最近は技術的に痛感している/誰だって平場で正面から向き合えば、対等でしかないのだが、この対等という関係の中で、何かを諫めたり諭したり、与えたりすることはできない。
正しく合気道をやっている人などには、前もって知られていることだろうが、「対等」に向き合う以上、甲は乙に「加勢」するだけしかできないのだ、甲乙が「ぶつかり合うか」「協力し合うか」の二者択一しかなく、ぶつかり合ってもただのケンカになるので、甲は乙に加勢するしかない、本人が突っ込んでくるならそれに「加勢」して、その加勢のせいで制御が利かなくなって相手がすっ転ぶのが合気道だ/ただしこの場合、本人が本人の勢いで転倒して死んだとしても、それを当人の「本望」と認めねばならない。
「魂の大きさ」なんて話をしたが、そんな話を信用するアホはこんにちいないので、魂の大きさうんぬんを「信用しないwww」なら、「そりゃそうだよwww」のほうへ、僕はビタッと加勢するしかないのだ、この加勢を技術的に、精密に一直線にするのは、訓練しているのであるていど自信があるのだが……
「対等」というのは、他ならぬ真剣勝負の母体だと思うが、真剣勝負と言われると、僕が誰かを庇護したり祝福したり導いたりする余裕は一ミリもないのであって、ただその人の行く先へまっすぐ「加勢」するだけになる/こんなことでいいのかねと疑問に思うのだが、技術的にはこれ以外にやりようがないのだ、つまり「対等」という関係性が実は極めて限定的な環境を作り出しているということだ、つまり<<対等性は多大な損失を前提にしている>>ということ、一滴でも何かが「降り注ぐ」ようでは対等ではありえない。

斬り合いの練習はさせてもらえても、打ち首にされる練習なんてさせてもらえない。

現代の男女などは特に、この「斬り合い」の真っ只中にあると見ていい、それで、僕などは多くの女性の瞳から、「たすけて」という切実な声を聞きとるのだが、土台が対等性に括り付けられてあるものだから、僕としては斬りかかってくるものを、そのまま真っ直ぐ送り出してやるしかないのだ、「対等」というのはそういうことだからしょうがない/「対等」という中では、「たすけて、と瞳が言っていた人でしたね」のまま、その直線に真っ直ぐ送り出してやるしかないのだ。
「対等」という関係の中でも、当然の「助け合い」はあるのだが、その助け合いは、「たすけて」という声に応じる助け方とはまったく異なる/このようにして僕は、ひたすら対等性という土台のせいで、人が必要としている本当のことを一ミリも伝えず、一ミリも与えず、「本当に対等にやるなオマエwww」と笑えるぐらいの精度で、まっすぐ送り出すしかすることがないのだ、別にそのことに不満はないのだが、いいかげんこれは退屈だと飽き飽きしてきている。
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