☆いい女☆で行こう!

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病床模索4/或る当然さの剥落
調が、恢復してきているとはいえ、まだまだ、目眩がするな、ほどほどにしておこう。
今回の病床の中で知ったのは、或る「当然さ」、或る「当たり前」について、実はそれはまったく当たり前ではないということだった/それは重大な発見というわけではなく、視えてしまえば「そりゃあな」と、むしろそちらこそが理に自明となった。
或る「当然さ」とは、簡単に言うと、人は自分が就労して労働すると、自分の口座に給金が払い込まれるものだと思っている、それが「当たり前でしょ……」と思っているということだ、これが実は、何ら当たり前ではないということ/われわれは多く自己利益のために活動するように作られているが、それは遺伝子(利己的遺伝子)のはたらきであって、本来の意味での「わたし」の当然ではない。
はっきり視えてしまうと、逆にこれほど不自然なことはないのだが、われわれは自分と誰かを半々に利するために生きるのではないのだ、100%自分を利するため「だけ」に生きるのだ、生まれてから死ぬまで徹頭徹尾、なぜ?/逆にこんな不自然なことがあるだろうか?

このことに、血縁者を入れるとややこしくなる、遺伝子は血縁者を、遺伝子の継承者として認めているからだ、遺伝子としては関連遺伝子が繁栄すりゃその持ち主は誰でもいい/われわれは本当に、100%、利己的遺伝子の言いなりになって、百年弱で使い捨てられる存在なのだ、これは本当に視えてしまうと「何コレ」と逆にすべてが不可解に映る。
遺伝子に逆らおうとする愛の人が不思議なのではなく、そもそも、アミノ酸の配列でしかない遺伝子に強固な「利己的意志」が具わっていることのほうが、不思議で不気味なのだ、こんなものがコピーされて繁栄したとして、アミノ酸に何の利益があるのだろう? アミノ酸がイイ気分にでもなるのだろうか。
誰でもチャリティー程度の発想は持っているのだが、「金曜日はカンボジアの子供たちのために働くのが通例」とか、「このバイトは○○ちゃんのためだからバイト代は○○ちゃんの口座に振り込んでくれよ」とか、そんな発想はまず持たない。
われわれの心臓は、ポンプとして、自分の身体に血液を送ることにはエッサホイサなのだが、他人の身体に血液を送ることには、一ミリだって働かないのだ、全力で拒絶なのだ、別にそう利己的たろうと決心しているわけではなく、なぜか初めからそのようにズドーンと決定されているのだ、これでは学校の先生が言うことなんて全部ウソだと言われてもしょうがないのだった。

自分の給金が、自分の口座に振り込まれる、その「当たり前」が、実はフェイクだ。

むろん、自分の給金が、ヨソに振り込まれると、自分が死んでしまうわけだが、それがマズいというのは理解できても、よくよく考えるとやはりおかしいのだ、なぜなら自分の口座に振り込まれつづけても、やっぱり自分は死んでしまうからだ、死ぬまでの期間が延びるだけでしかない、「なんだこれ」と言われたらまったくそうで、われわれの生にはまったく気づきづらい、気づいてしまえばとんでもないドデカいフェイクがど真ん中に置かれている。
なぜかわからないが、われわれは、<<自分と自分のファミリーのためにしか、働いてはいけない>>ということになっているのだ、「なぜ?」と言われてもけっきょく「さあ」としか答えられない/自分が働いたとして、「その給金は誰の口座に振り込まれるのですか?」とは、子供だって訊ねないだろう、労働力を売却するシステムなのだが、これが人心を根源的に破壊するのに最も効率がよいのかもしれない、自分の口座なしに労働をよろこんでいる先生はいない、では労働によろこびはないのかもしれない。
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