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慾望の解放と禁忌2/百万度の慾望の中

薬やセックス、酒、ギャンブル、あるいはお金や名誉、エナジードリンク等、刺激性の娯楽や音楽、果てはスポーツや技術、トレーニング、マニア、オタクなどもそうなのだが、さまざまな「慾望の解放」があったとして、慾望の解放そのものより、背後がどれだけ「虫食まれているか」ということが問題になる。
知っておいたらよいと思うが、人は単にアルコールの摂取でアル中になるのではないのだ、アルコールの摂取によって、何かを「打破」できたということ、このことによってアルコール中毒になる。
何かを「打破」できたということ……たとえば酒を飲むと、さびしさを打破できたり、緊張やプレッシャーを打破できたりする、少なくとも打破できた「ような気」にはなる、実際に明るくなって強気になってウケもよくなる/このときから酒は「力」になり、「救済」になり、酒は自分の「味方」「パートナー」だと捉えるようになる。
このことから、つまり「打破」といっても、「酒なしには打破できない」という局面がやってくるようになり、実情として「酒なしではやっていけない」という状態が発生してくるわけだ、麻薬やセックスも同じ、実はそれ自体に依存性があるということではなく、何かしらの物質増強で「突破」したということが、後々まで続く中毒と依存症のトリガーになるのだ/麻薬でテンションの低さを打破し、セックスでさびしさを打破し、酒で人付き合いの不具合を打破してきた人は、麻薬とセックスと酒なしでは「やっていけない」という状態になる……すべての中毒と依存症はこのように発生しており、つまり当人では打破できない「苦しさ」が依存症の源泉になる、このことには特徴として、<<トリガーが引かれたときにその自覚は一切ない>>という性質がある、何しろトリガーが引かれたその瞬間は、当人は急にラクになっているのだから気づきようがない。

慾望の解放といって、麻薬やセックスや酒が、本来そこまで強く慾望を刺激するわけではない、だから本質は「背後がどれだけ虫食まれているか」なのだ、抑圧の中で背後が実はズタズタに虫食まれているとき、そこに麻薬やセックスや酒はまったく違う染み渡り方をする、それで本当にコロッといく/(覚えておいて損はないことだ)。
同じ酒の一杯でも、背後がズタズタに虫食まれているとき、その「虫食み」自体が強烈に作用することになる、つまり「反動的」に、これまでの抑圧の強さと同等の強さで解放作用が発生するので(必然)、作用は強烈になる/そのとき飲んでいるのはもはや酒ではなくまったく別の何かだ、いわゆる酒の勢いで失敗が生じるのではなく、一般には「未知の力」がはたらいて当人を失敗に追い込む、また周囲に重大なマイナスをもたらすことも当然ある。
だから、表面的な善人を安易に信じてはいけないし、同等に、表面的な自分の善性を安易に信じてはいけない、表面的にあの人が善人で、表面的に自分が善人でも、それぞれ背後が抑圧の中でズタズタなら、知らぬ内にトリガーが引かれてコロッといく/善人同士、酒の一杯、麻薬の一服、セックスの一発でコロッといく、そのトリガーが引かれた瞬間には何の自覚もないのだ、だがその瞬間から虜になり、引き返すことはもうできず、そのまま本当に急激に下り坂を転がっていく、そうなるともう、とてもじゃないが三ヶ月後には同じ顔の人ではなくなっている、しかもこのことは当人の「ゴキゲン」のまま進行していくのだ、そして気づいたころには何かの腐敗や、けいれん、理由のない体調の悪さが噴き出しており、ゴキゲンは失われて苛立ちになり、もう元あった自分をベースにして考えることはできなくなっている。
だから「慾望の解放」といって、正規の手続きを踏まねばならないのだ、正規の手続きとはつまり「苦しむ」ことだ、これまで抑圧していた慾望を解放すると、こころも精神も満たされない慾望に灼かれて苦しむことになる、この中で愛や光や、悟性や学門を発見できるかということであって、慾望を解放したらラクになれますという話では決してない/むしろ「苦しめ」という話なのだ、自分の中に潜在していた慾望を、わざわざ顕在化させるのだから、臭い物のフタを一斉に開けてその中で深呼吸しろという話になる、このことをナメてかかった者は割とあっさり精神障害を起こすだろう。

慾望の解放とは、自分が火の上に立つことであり、他人に火をぶつけることではない。

誰だって善人のように生きていると思うが、それは火の上に立って善人なのかということだ、慾望の機能を抑圧ないしは麻痺させて善人というのでは、本質的にまったく善人ではない、世の中には草食系と呼ばれる男性もいるが、彼らは腕力と権力と財力と魅力という力を得てなお草食系であるわけではない、だから彼らはゾウのようではない、ゾウはサバンナで最強の力を持っているが草食動物だということであって、力のない者が自己都合の調整で行き着いたスタイルを草食動物になぞらえることはできない。
慾望の解放というなら、あなたは、「どれほどご自身で苦しんで、どれほど戦って、こんな安らぎにまで行き着いたのか」と、人を呆然とさせるような者でなくてはならない、慾望の解放とはそういうことだからだ/百万度の慾望の中、なお仁(思いやり)と義(優先すべきこと)を選び、女にやさしく、人を笑わせることを優先し、人の幸福を考え続け、自ら能く愛し、全身全霊が勝手に立ちはたらくような者であれるかということ……ふつうそんなことは、どう考えても不可能としか思えないので、学門が要るのだ、何をどうしたらそんなことが可能になるのだ? という切実な問いかけが学門のこころだ。

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