☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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誰かが一所懸命に育てた奴しか育たん
育うんぬんに口を出せる立場に僕はない。
だからただの放言になるが、僕は経験上、「誰かが一所懸命に育てた奴しか育たん」と思い至るようになった。
教育の内容とかシステムとかの問題ではない、人は家畜ではないのだから。
教育システムにガツーンと投入したら、アラ不思議、完成品として出荷されますという幻想が、虫の好い思い込みなのだろうな、そりゃ冷静に考えれば当たり前のことなのだった。

むかし、会社の上司が、ひどく食べ方の汚い人だった。
四十とか五十とかになって、食べ方の汚い人というのは、実はいくらでもいる/それはもう、治らないし、改善もしないということだ、誰かが彼を一所懸命に育てなければ、ただ単にそうなる。
おそらく、人材育成とか、そういうナマっちょろい発想が、根本的に甘えきっているのだろう、わけのわからない情熱と仁でしか、人が人を「育てる」なんてことはありえない。
人が育つのは、誰かが必死こいて育てた結果「のみ」だが、もちろんそんなものは、平等に与えられるものではない、僥倖で与えられるものだ、それでいいじゃないか、誰かに育てられたなんて奴は相当に運と品質がいい奴なのだ。

「育てる」に必要なエネルギーは、「半殺し」に必要なエネルギーと同量だ。

もちろん僕は、こんなことを吹聴できる立場にないので、ただの放言となる、だがただの放言として申し上げるなら、壇上からシステムどおりの文言をぶつぶつ呟いていて、それで誰かが育つとかいう馬鹿げた話は初めからありえないのだった。
僕自身、自分を育ててくれた人たちのことを、ずっと忘れない(忘れられるたぐいではない)ので、覚えているが、何かを教わるというとき、その成分の半分は「こっ、殺される……」という感触だった、最低限それでなきゃ魂に届かなかった。
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