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「物語」が視えなくなるということ
は、多くの人は、もう「物語」が視えなくなっている。
「物語」が視えなくなっているので、暗記したり、感情的に捉えて「泣ける映画」としたり、作品のデキを論評したり、グランプリ形式にして順位付けをしたりしている。
なぜ「物語」が視えなくなるかというと、「分割」の作用が掛かるからだ、1mmごとにコナゴナに分割された定規はもう定規でないように、分割された物語はもう物語ではない。
物事は、「力」が掛かると、分割されて全体性を失い、物語を失うのだ/たとえば「忠臣蔵」がどういう物語なのか、ウィキペディアを見ればわかるのだが、わかったとしても視えないのだ、これはもう「物語」を視られる因果からキックアウトされているという状態だと、理性的に判断しなくてはならない。

人のみならず、すべての動物は、生存本能を危機にさらされると、「力」に偏るという機能を持っている。
弱肉強食のルールの中でサバイブしようとするとき、頼れるのは「力」だけだからだ、これは実験的に確かめることもでき、また古来からの呪術(呪い)も、生きものが持つこの性質を利用している。
たとえば第二次世界大戦がどのように勃発して、どのように終結していったか、その物語はどのようだったかということを、分割した知識にして暗記はできるのだが、それがひとつの物語に「視える」ということは、すでにほとんど失われている。
だから現代においては、物語がどうこうというのではなく、刺激的な色と感情的な表情と大げさなBGMを貼り付けることが「感動」ということになっている、もう「物語」は視えないのだ/そしてそのことは、誰にとっても例外ではなく、「生存本能を刺激されると力に偏り、必然的に分割の作用が掛かるので物語は視えなくなる」と、理性的に捉えておかねばならない。

生存本能の上で「脱力」は決してできない。

どれだけ脱力しているつもりでも、生存本能が幅を利かせているうち、体内には必ず「力」がこびりついており、この力に分割作用を受けるうちは、ありとあらゆる「物語」は破壊される/バカみたいな言い方をするならば、なかやまきんに君にストーリーテリングの能力はない(きんに君のネタは面白いのでおれは好きだが)。
生存本能の上で「脱力」はできないということは、単に「うへらうへら、ちょいぽいぽろぴ〜」と言ってみるだけでわかる、この無意味な文言を違和感なく魂のまま吐けるのは、まだ生存本能が機能していない赤子だけだ。
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