☆いい女☆で行こう!

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新たなナゾ、「自分から教わろうとする」ということ

ぜこんなことになったのだろう? 考えると不思議に思えてきた。
僕が手品をやっていたころ(中学〜高校)、プロのマジシャンの人に、「これ、こんな感じで……こう、どうでしょうか!!」と、実演してみせて、「うん、この、○○っていうワザはさ」と、指導を受けていたものだ/これはスゲー当たり前の話だと僕は思っている。
美術の先生が水彩画の基本を教えてくれたとき、途中経過ごとに走って持って行って「これ、こんな感じでいいんですかね」「合ってる合ってる」と教わっていたし、合唱団にいたときは、先輩にビビりつつも、「ちょっと発声見てくださいよ〜」と願い出ていたはずだ。
指揮法は、S先生に直接教わるのはおっかなかったので、クラブメートに「おい、これで、こうで……これで見えているだろ?」「うん、わかるわかる」とやっていた、あるいはOBさんの音楽エリートに「ここってこの構えから……」「いや、初めからここにあったほうがいい」「あ、なるほど!」とやっていたはずだ、何かこういう当たり前のことがきれいさっぱり消えてなくなったような気がする。

なんというか、僕がここで言う当たり前のこととは、「自分がやる、だから自分が訊く」ということだ、うーん当たり前すぎて鼻毛が抜け落ちそうだ。
それがどうも現代では、「自分にはやる気があるので、正しく教えろ」と、教わる側が教える側を、恫喝しているような感触がある、そして教わる側のプライドやキモチをわずかでも傷つけようものなら、絶対に許さないという威圧感がもともとあるのだ、「何これ?」と今になって思う/別にもともと、教わるとして、教える人のほうがエラいとか、そんなたいそうなこともなかったと思うのだが。
なんというか、現代になって人々は、大前提としてセンス(というナゾのもの)がバリバリにあり、基本的に万能で何でもできるから、そのことに抵触しないように最善で教えるように、それが教える側の義務です、という主張があるように思う/なんというか、「へっへーん、○○さんに教わったの〜」という無邪気さがないのだ、何がなんでも断じて自分の努力のみによって開眼して会得したということでなければ許せないという殺気がある。
何か、ちょっとしたことでも教えようとすると、「(万能で無謬のわたしに対して、その尊厳をわずかでも毀損することは許されない、そのことはわかっていますよね? かりそめにもわたしの何かが間違っているというような口ざまは許しません)何でしょうか?」と圧迫される感じがする/そして教えたことについても、ソッコーで大解決の特効薬で巨大な利益があれば、「まあ認めてやってもいい、教えてくれてありがとう」と認めてつかわす感じがあり、その大解決の特効薬という感じがない場合は、「うーん……わかりました」と、不平というか不満というか、内なる憤怒と憎悪を我慢している様子なのだ、何なんだこれ? よくよく考えたらなぜそんな閻魔大王みたいになって僕の側を威圧するのだろう。

ひょっとして、自分から教わろうとすると、何か「気が狂いそうになる」のか?

よくよく考えたら、このことの理由がまったくわからない、僕は自分が教わろうとするとき、僕の側から「あの〜」「その〜」「これって〜」「こんな感じで〜」「うへへサーセン」と、当たり前に訊いていくタチだ、ひょっとしてこの「自分から教わりにいく」という機能が、それじたい特殊能力なのか? 特殊能力だったとしても、このクッソ当たり前のことにノウハウなんてありようがないけれども。
うーん、よくわからんな、自分から教わりにいくのって、「教えてちょんまげ〜」でいいと思うし、そこで何の殺伐バトルが生じるのか、僕にはさっぱりわからない、このことは改めてヒヤリングが必要なようだ/と、考えているということは、やはり僕はあっさり自分から教わりにいくつもりなのだな、僕はしょっちゅうこのヒヤリングを言っているが、僕自身がヒヤリングされたことはまったくないものな。

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