☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 新たなナゾ、「自分から教わろうとする」ということ | TOP | 新たなナゾ、「自分から教わろうとする」ということ3 >>
新たなナゾ、「自分から教わろうとする」ということ2

えてみて、改めて気づくが、そういえば僕は何かの「見学」をすることがほとんどないし、「習い事」の一切にもほとんど興味がない、何かの講義を聴かされたりするとたちまち退屈になって破裂しそうになるタチだ。
そうして考えると、僕自身の持っている、「自分から教わろうとする」という性質ないしは機能は、まったく別の手続きによって発生していることがわかる/つまり僕は、第一に自分のサンプルを持ち込んで「どうでしょーか!!」と訊く、そのことを「自分から教わりに行く」と捉えているようだ、こんなこと今まで考えたこともなかったけれども。
仮に、もし僕が何かの剣術でも習いに行くとすると、その道場が発行している冊子やVTRを集め、その中に示されているいくつかを自分なりにやってみて、「これで出来てんじゃね?」という手ごたえを得てから、それを持ち込んで「どうでしょーか!!」と訊く、そのことを第一にするだろう、そういう発想なのだ/もちろんこの発想が正しいのかどうかは知らないし、あまり正しいという気もしない。
何はともあれ、僕にとって「自分から教わりに行く」というのは、資料からまず自分で独学モノを無理やりにでも掴み、その独学モノを土台にして、ホンマモンを教わるというのが、「自分から教わりに行く」ということの定義らしい、思えば僕はこの手続きでしか何かを学んだことがない。

そういえば、確かに僕は、学校で授業というものを、ほとんど一度も聴いたことがない、授業をしていたのは知っているが、本当にわずかも耳を傾けていなかったように思う、ひどい生徒だがまあ僕のような者はしょうがないだろう/僕は数学で百点満点中5点を獲ったことがあるし、社会科の先生が気に入らないで、「点数なんか要らん」といって白紙のまま提出して0点を獲ったこともある。
そう言われてみれば、人はなぜ点数なんか欲しがるのだろう、まだカネを欲しがるほうがマシだ、点数なんかもらっても外貨ではないので何にも使えやしない/まあそれはいいとして、ずっと昔から本能的に判断していたのは、<<独学もしていないのに授業なんか聴いてもムダに決まっている>>ということだった、それは予習という発想とも違う、その字義のまま「独学もしていないのに授業なんか聴いてもムダに決まっている」だ。
たとえば僕は、大江健三郎の小説作法を、自分が小説を書く方法の基礎に置いているが、小説を書く前から、その実作法だけ勉強するようなアホがどこにいる、そんなもの、小説を何十か書いてから後にしか学びようがない、前もって勉強したところで頭でっかちの邪魔知識になるだけに決まっている。
なんとなく、ちょっとわかってきたが、僕は自分の脳みそのルールに正直なのだ、僕はまず自分でやってみて「わからん!!」となるまで、何かを教わったり学んだりできる気がしないということに確信を持っているのだ/つまり、「学ぶ」ということの前には、確実な「わからん!!」が先に要るのだ、「学ぶ」は必ず「わからん」の後にしか成り立たない、きっと僕はそのことに確信を持っているので、新しいことに手をつけるときに一ミリの躊躇もないのだ。

僕が、コーヒー豆に湯を注ぐ前に、コーヒーの淹れ方を教わることは100%ない。

<<わからなくなってから訊く>>/僕の知人に、コーヒーオタクと呼んでいい青年がいるが、僕は彼にコーヒーの淹れ方などを「興味」で訊くということは100%ない、僕が訊くのは自分でさんざんやってからだ、「おい、この湯を注ぐのって、いつ終わったらええねん」と僕が訊くのは、自分でさんざんやって、「毎回、これっていつ終わったらいいのかさっぱりわからんよな」と確信してからだ、その確信がないのに一体何を訊いて何を学ぶというのか。
興味で学ぶなかれ、意欲で学ぶなかれ、ただ「わからん!!」という確信の拠にのみ学べ、「自分から教わろうとする」ということは、自分ですべてのことの「わからん!!」に到達するということだ、どうも一般的な学ぶ・教わるというのは、自分で座席にドッコイショと座れば、何かありがたげな情報が壇上から散布されてくるので、あとはそれを吸い取りましょうという発想のような気がする/それが正しいのかどうかは知らないが、少なくとも僕はしたことのない発想だ。

できるオンナだね | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |