☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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すべての生きとし生けるものに祝福を

ょっと、今書ききれる状況ではないが、いろんなことが見え始めている。
「生きる」ということは、生存本能の支配する範疇だが、これは厄介であると同時に、やはり「切ない」のだ、甘やかしを利かせられるものではないが……生存本能はけっきょくわれわれを滅ぼすのみなのだが、そうした滅びを内包して生きるしかないということ、それ自体はとても切ないことだ、だからすべての生きとし生けるものに祝福を。
そして、不遜なことだが、僕はすべてのことを正常化したいと望んでいる、不遜ついでに申し上げるが、優れたる者は僕の物語を聴け、僕の生きてきた物語を/僕は生きることを忘れて生きてきた、僕にとって生きるということは、生きるということではなく、ナゾを解くということだった、ナゾが気になって「死ぬわけにいかない、気になる」と生きてきたようなものだ。
僕が、あなたがどう生きてきたかの話を聴くことは、実はまったく有効でないということがわかってきた、逆、あなたが、僕がどう生きてきたかを聴かねばならない、あなたが僕がどう生きてきたかに少し詳しくなったとき、あなたの中で何かの解決と進捗が得られるだろう、僕があなたの話を聴いたところであなたの中に解決も進捗も生じはしない。

現在の僕でさえ、自己の「死」というものを視るとき、それはとてつもないナゾであって、ぼちぼちの恐怖感を認めるものだ、これを何の訓練もない者が平然と眺められるはずがない/だから自己の死についてはナゾと恐怖ごと無意識下に抑圧せざるをえず、この抑圧された恐怖がわれわれの精神と立ち回りを支配している。
われわれは、いつも死と隣り合わせだ、別に戦場の兵士でなくても誰でもそうだ、もちろんそんなことは徒然草のころから言われている、だがどう考えても学門ナシの人々がこの巨大なナゾと恐怖に直面できるはずがない、だからわれわれはほとんどの場合、半ば以上ヤケクソで、自己が生きることを肯定しながら、そのヤケクソの肯定を理由にしながら生きていくしかないのだ/いつも死と隣り合わせというが、本当にそんなものと隣り合わせということは、ふつう恐ろしすぎて隣り合わせに置いていられない。
だからあなたは、僕がどう生きてきたかの物語を聴く必要がある、わけのわからない話だろうが、あなたは生存本能とは異なる動機で生きてきた例を聴く必要があり、少なくともその一パターンに、詳しくなる必要があるのだ、そのことが為されないかぎり、あなたの中で「物語」というものが命をもってあなたを救うということはない/僕が生きてきた物語を、あなたのものにしなくてはならない、そのフォーマットが敷かれないかぎり、あなたは生存本能の履行だけを繰り返して生きることになってしまう。
すべてのことを正常化したい、その道筋はすでに見えていて、ただどうやったらすんなり気づいてもらえるのかわからない、自己の死の恐怖から生存本能を尊ぶということはやはり誤った道で、われわれが誰も罰の只中にあると再設定するのが正常化への道だ、つまりあなたが知るべき僕が生きてきた物語は、僕がどのように罰の中を生きてきたかのサンプルになる、僕にとってナゾを解くことは罰であって、この罰を受けきらずに死ぬわけにはいかなかったのだ。

僕は光栄な罰の中を生きてきた、だからあなたも光栄な罰の中を生きることができる。

あなたは自分の物語を、自分で創作するふりをして捏造しなくていいのだ、あなたは罰の只中にあるのだから、その罰の光栄を知れば、おのずとあなたは自己の生がどう光栄で、かつ罰としてふさわしいのかを知ることができる/罰だから必ずしも楽なわけではないけれど、見当違いの努力ワールドでおびえた目になるよりはずっと上等だ。
生きとし生けるもののすべては切ない、切ないのは生存本能という滅びを内包して生きるよりないからだ、これをなんとかして「光栄だ」という転じた事実に気づいてもらう必要がある、僕が勝手にそのように求めることは不遜な話だが、この不遜の道も僕の受ける罰のひとつなのだ/僕は正しくはなく、ただ罰のプレイヤーとして純然たる強さを見せたい。

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