☆いい女☆で行こう!

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遊ぶ魂、サカる格
つからか、「楽しむ」ということが幅を利かせ始めた。
そして端末の再生ボタンを押すようになった。
youtubeの再生回数は、人々が遊べなくなった回数を示している。
ポチッと押せば、「楽しむ」が始まる……そうこうするうちに人々は「遊ぶ」ということができなくなった、そして魂を解放する道筋を失った。

「遊ぶ」というのは、実は高度なことだ、生きものがする営為の中で、最も高度なものだと、すべての光の詩人が指摘している。
そのことは、政治集会の人々や、競技場の人々、予備校で血道を上げる人々、目立って興奮しようとする人々、講演会で自己啓発を目論む人々に、一声示してみればわかる、「遊びましょ」と。
数万人の集まりも、「遊びましょ」の一言で、何もできないということがわかり、凍りつくだろう/われわれは格子に魂を閉じ込められた生きものであるから、「努力」したり「競争」したりは簡単にできる、力に努めて競争 "してしまう" のがわれわれの性(さが)だからだ、だがもし努力も競争もやめて「遊べ」と言われたら?
「遊べ」と言われたら、具体的には何もできないのだ、このことを目の前に据え、まずは己の魂の荒廃ぶりをしみじみ確かめよ、凍りつくしかない実際的な自分の事実/学校の職員室で、先生たちが「遊んでいる」のを見たことがあるだろうか、遊べなくなった人々は必ず「威張る」ということを覚える、自分たちこそが高等なのだと必ず死ぬまで言い張り続けることになる、その中で永遠に遊ぶことを忘れない僕はやがて迫害の対象になるだろう。

男が女を、女が男を、「楽しんで」いるのだとすると、実にオッサンとオバサンで気持ち悪い。

学校の先生は、自分たちが同僚同士で和合して遊べるわけではまったくないのに、生徒たちには和合と協調を指導しようとする、だからおのずと示される思想は、「集団行動」というたぐいの、つまり魂を閉じ込めた姑息的同調のやり方だけを教えることになる/なぜ先生たちは同士で遊ばないのかと子供たちが問うたら、先生たちは必ずにこやかに、自分たちが子供らと違って「高度な存在だからだ」と宣伝のように言うだろう、まさか「魂が閉じ込められているからさ」と答えるような大人はいない。
スマホ中毒は何の問題でもない、問題はより直截的に、「遊べなくなった」という致命的なところにある、遊べなくなったから再生ボタンをポチッと押す、すると「楽しむ」ということが始まり……するとまるで自分は豊かで偉くなったようで、楽しまれるコンテンツに対しても、一家言を下賜するのが当然という感覚が得られてくる/この「楽しむ」体質になりきった人が、デートの現場に来て「楽しむ」という予定のありありした面をぶら下げていると、その姿は客観的には驚くべき醜さに映る、何者がわれわれを一方的に「楽しませて」くれるという見込みなのだろう? 遊べなくなるというのはそのように根深くおそろしいことなのだ。
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