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「かわいそう」という感情について3

わいそうシリーズ第三弾(これでおわり)。
何かを「かわいそう」と激する感情は、しばしば「わたし・かわいそう」という感情にも転用され、だからこそ「勝ち組になろう」「負け組になるのは絶対イヤだ」と人は動いていくのだが、多くこの「かわいそう主義」は、けっきょく真のかわいそう主義にはなり得ない。
どういうふうになるかというと、この「わたし・かわいそう」の主義から力を得ていった者は、加齢と共に権力や財力を持つようになるのだが、そうして力を得ていく過程で、むしろ「どうやったら人がかわいそうな目に遭うか」にとても詳しくなっているのだ、だからこの者はヒューマニストになどならず、いつでも「逆らう者にはかわいそうな目に遭わせてやる」という悪魔の発想を手元においた、まあ何のことはない単純な悪霊の使途になってしまう。
だからもし、一人の資産家が、かわいそうな子供たちにチャリティの側面を強く持っていたとしても、そのことを表面上だけ理解して、早合点しないように/まるで冗談みたいだが、そうしたチャリティおじさんに、酒に酔った誰かが軽口の一つでも叩くと、そのとたん「あいつはクビね、二度とこの業界で生きられないようにしておいて」と、躊躇のない処刑に転じることはよくあるのだ、むしろそれは「かわいそう主義」における当然の力関係だと知っておかねばならない、<<「かわいそう」という感情はその人のやさしさを保証はしておらず、むしろその逆の冷酷さを保証していることが少なからずある>>。

「わたし・かわいそう主義」でやってきた人は、そのキャリアから、当然「かわいそう」という現象に詳しいのだ。
だから、どのようにすれば、かわいそうな人から評判がよくなるかもよく知っているし、どのようにすれば、かわいそうな人をより深く苦しめられるかもよく知っている。
そして、どのように趣向を凝らせば、あなたを最もかわいそうな目に遭わせることができるかについても、どうしても詳しいのだ、脳みそがその手続きを発想することに長けてしまっている/人によっては、その発想の早さと深さは、まさに悪魔じみているというケースさえある。
どういうことかわかるだろうか、つまり、「わたし・かわいそう」と激する感情を抱え続けるというのは、長年、自分自身を「かわいそう」と呪い続けることに他ならないのだ、長年その呪いを原動力として動いてきたぶん、この人はその呪いを自他に行使する技量に長けている/「かわいそう」と感情が激することは、魂が八つ裂きにされることだと言った、だからこの人は、人の魂をバラバラに砕く呪いの術を知っているということなのだ。

一所懸命生きている人に向けて、一斉に全力で「かわいそう」と言ってみれば、それが呪いになるということがわかる。

目を剥き、血をにじませて、誰に対しても「かわいそう! かわいそう!」と連呼してみれば、それだけではっきりわかるだろう、「かわいそう」というのはかなり悪質で特級の呪詛になりえるのだ/この呪詛に掛かった者は、自他どちらに掛けられたにせよ、実感的に「かわいそう」という呪縛に掛かり、何もかもを「待つ」「受ける」ということしかできなくなる(呪縛されて能動性を喪失してしまう)。
「かわいそう」という呪詛に掛かると、1.悪魔の力を得るか、それが得られない場合は、2.「待つ」「受ける」しかできなくなり、他人が聞いたら呆れるような根拠のない無制限の幸福を待ち受けていたり、一方で、明らかな絶望や破滅がやってくるのにも、それを座して待ち、ただ受けて悲鳴を上げていたりすることになる/一所懸命に生きたもの・生きているものに、「かわいそう」が激することがあってはならない、特に血が流れるときは注意だ、好き放題に呪われてそれをヒューマニズムだの正義だのと言い張るのには強い禁忌を覚えておこう、まだ十分に引き返せるうちに。

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