☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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死への恐怖と、縛りプレイ

の年末年始に僕が知ったことは、すべての一般的なものが、実は単一の「死への恐怖」から生じているということだった。
われわれは、ジャンケンに勝ってさえよろこぶ、「なぜ?」と言われたらわからない、幼児でさえ「勝つ」ことによろこぶ/ルールが解せるものなら、ムカデだってジャンケンに勝てばよろこぶだろう。
タクシーの運転手は、死への恐怖から生じている、アダルトビデオの喘ぎ声も、死への恐怖から生じている、そのことがはっきりと視えるようになった、これで僕の積年の、しょうもないナゾもひとつ解けた。
積年のしょうもないナゾというのは、タクシーの運転手さんが軽く話しかけてきてくれるところに、僕が陽気に話を重ねると、運転手さんがピタリと話し止んでしまうことだった、これは長いあいだ「なぜ?」と不思議だった/そこに僕は、意図的に死への恐怖を(声に)盛り込んでみた、すると運転手さんはスルスル話すようになった、このことで積年の疑問は氷解した。

逆に、僕が能動的に話し、唄い、動き、飲食すると、周囲の人々は、急に解放されたように動き始めることになる、このことの現象もより正確に視えた。
僕が何かしらの声・言葉を発すると、周囲の人々は、一時的に「死への恐怖」から離脱できるのだ、それでそれぞれに、「何かわたしはイケているかもしれない」という錯覚を起こしてノリ始める、僕がこれまで何千回と見てきたのはこの現象だった。
僕はもう、話すことや、言葉を発すること、唄うこと、動くこと、飲食すること、その他のことを、見せ続けねばならず、やり続けねばならず、はたらき続けねばならないということがよくわかった、もう僕がそれを止(と)めたら、誰も呼吸できなくなるからだ、もう実情として僕がしぶったり見物に回ったりしている余裕はない/最善を尽くすしかないのだ、「死への恐怖」から離脱した一瞬だけでも人々が得られるように。
それにしても、それで一時的な解放を得た人々は、「何かわたしはイケているかもしれない」とノッてくるわけで、ノッてくると必然、自分のほうが偉いと思っているものだから、たいてい僕のことを「こづく」のだが、これは大丈夫なんですかね……僕はこづかれながらも、もう「解放」への最善を続けるしかないのだが、こづかれながらそれをするのは数十倍も大変で、それでもすでに僕は「最善縛り」というような縛りプレイをやらされている状況なので、どうしようもないのだが、最後までこの「こづかれる」ままでいいのだろうが、たぶん僕は大丈夫なのだが、全体としてこれで大丈夫なのかどうかはよくわからない(おれにはどうにもできねー)。

意味不明だと思うが/「死への恐怖」が支配者で、「死」そのものは味方だ。

もしわれわれが、努力と慎重さによって「永遠に生きられるチャンス」を持ち得たとしたら、われわれの生はもっと悲惨だ、われわれはひたすら自分の保護と遺伝子コピーの繁栄にのみ血道をあげることになってしまう/死が約束されているから(および、地球上の生命といっても百億年後には全部カラっぽでしょと約束されているから)、われわれは死への恐怖にあるていど区切りをつけることができる、だから死そのものは実は味方だ。
それはいいとして、とにかく仕組みは視えた、僕のことをふんだんに利用しながら、その利用者は利用したぶんだけ僕を「こづく」のだ、それは得られた解放の中で先方のほうが「偉い」からだ、偉いものが卑しいものをこづくのはしょうがない、それは一般的には理不尽に類することだろうが、つまり一般的でない僕が悪いという卑近な結論に落ち着くようだ、何にせよ僕は最善縛りという特殊プレイを強いられているような状況なので、常に「こづかれながらやる」というのを大前提にしなければならないようだ、唯一それで「大丈夫なのかね」という不安だけがほんのり残っている。

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