☆いい女☆で行こう!

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「中央」と「地方」、魂の向かうベクトル
は割と多くの人に頼られているし、多くの人に利用されている(というよりはご利用いただいている)のだが、その過程で単純に「九折さんサイコー」となる人もあれば、ある意味ド定番として、僕のことを「こづく」ことが決してやめられないというケースが出現する。
そして、この「こづく」というケースを集計してみると、なぜだろう、あまりにも有為な割合で、「地方出身者は僕をこづく」というパターンが認められるのだ/もちろんこのことは百パーセントではないが、九十数パーセントには達しており、ほとんど百パーセントに近いとみなさねばならない。
僕は、なぜか気づいてしまったのだが、この世界の仕組みには「中央」と「地方」があって(市場と同じだ)、人それぞれに、魂の向かう方が「中央」に向かう人と「地方」に向かう人があるようだ、なぜそんな二種に分かたれるのかはよくわからないし、その理由にあまり興味はない。
今知られているのは、地方出身者が僕を「こづく」ということなのだが、正確にいうと、魂が「地方」に向かう人は、僕のことを「こづく」のであり、魂が「中央」へ向かう人は、僕をこづいたりはしない、ふつうに「九折さんサイコー」といって遊んでくれるということだ/この法則はびっくりするぐらい普遍的に当てはまる、この世界には「中央」と「地方」という仕組みがあって、そのことはわれわれの魂の向かう先と深く関連しているのだ。

魂が向かう先について、このような質問を出すと、割とタイプが判別できる/「年越し」をするときは、1.それぞれが地元でしめやかに過ごすべき、2.全員がタイムズスクウェアに集まってドカーンといくべき、この二つのうちどちらを真実と感じるだろうか。
いわずもがな、2を選ぶ人は魂が「中央」に向かっており、1を選ぶ人は魂が「地方」に向かっている/まあ、ざっくりとしたテストでしかないが、少なくとも「タイムズスクウェアに集まってドカーン」と唄うような演歌はない。
もちろん、1も2も、どちらが正しいというわけではなくて、どちらもある程度正しいだろというたぐいなのだが、中には頑強に1だけを主張する人もいる、そういう人は2のことが本当に一ミリもわからないという人だ/いわゆる「ハレの日」というものがあったとして、ハレの日は「地方」に向かうべきだろうか、それとも「中央」に向かうべきだろうか? そこで地方に向かう魂の人は、僕のことを「こづく」という法則がある(それが悪いとか間違っているとかいう話ではない)。
そもそも、われわれは誰しも「発展」しながら生きようとしているのだが、その「発展」というものの元型が、「発展といえば中央が発展するでしょ」と捉えられている人と、「発展といえば地方が発展するでしょ」と捉えられている人がいるのだ/たとえば、四国で生産した特別なトマトが、赤坂の料亭で消費されているとしたら、それをもって1.「だから本当は地方のほうが偉い、中央なんて実力のないウソの集まり」と捉えるか、2.「中央を栄えさせるために、われわれ地方が頑張るんじゃないか」と捉えるかだ、これはどちらが正しいという話ではなく、人それぞれの魂の向かうベクトルを示している。

「中央」と「地方」の関係は、「精神(中央)」と「身体(地方)」の関係に重なっている。

ある人は、1.地方のために、中央が頑張らないといけない、と捉えるだろうし、ある人は、2.中央のために、地方が頑張るのだ、と捉えるだろう、それと同じように、1.健康で豊かに長生きするために、精神が頑張る必要がある、と捉える人と、2.精神が高みに到達するために、己が身が力を尽くす必要がある、と捉える人がある/「中央」と「地方」の基本感覚は、このように人それぞれの「精神」と「身体」の基本感覚に重なっているのだ。
心身の構造上、精神が「中央」であり、身体がそれぞれの「地方」に当たる、この中央と地方を見て、どちらが主でありどちらが従であるかについて、人それぞれの基本感覚があるのだ、その基本感覚の対極は、魂がどちらを向いているかで分かたれている。
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