☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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すべての歌と言葉と物語

ったく残念なことに、すべての歌と言葉と物語は、「にょんにょんにょん〜」が正体らしい、まったく冗談みたいなのだが、学究の結果そのことが証されたのだからしょうがない。
何か、もうちょっとこう、ドラマティックで感動的なものであってほしかったのだが、ピタッと嵌まるのはこの「にょんにょんにょん〜」しかないので、しゃーない、カミサマは冗談だと自分で指摘したのだが、何かこう、思い入れとしてがっくりくるものがあるな……
しかしもちろん、にょんにょん側が悪いのではなくて、そういったものが降り注いでいるのに、花を咲かせないわれわれのほうが悪い/すべては花の観察者が、降り注ぐものを知らずに花だけ見て高説を垂れたのが誤りの根源だ、花についての弁論は降り注ぐものについての視点がまったくなかった。
花というのは、タネがド突きあいをして、思念と願望の結果、咲くものではない、花はなんでか知らんがいつのまにか咲いとるのだ、その作用の根源を聞きとるなら「にょんにょんにょん〜」だが、こんなことを言っていてはまるでUFOを呼びだそうとする電波おじさんみたいでやる気がなくなるのだった。

今このときもそうなのだが、われわれが自分の意識で何かを「やる」とか「始める」とかいうことは、基本的にナイのだ、自分の意識で何かを始めようとするのは、そりゃ元のにょん(略)から切り離されているからにすぎない/それは「自分」というのではなく「自我が元の何かから分離されてしまったヤツ」でしかない、もっとにょんにょんしろ。
ダメだ、こんな説明をしたって、これでは世の中に勘違いにょんにょんを増やすだけだ、勘違いにょんにょんなどもちろんガソリンスタンドのアルバイトも務まらない不思議電波の役立たずだ/正月には正月らしいことをやはりするべきなのだが、「なぜ正月らしいことをするか」という思念が湧いた時点でもう負けなのだ、元のものとつながっていたらそんな余計な思念は湧いてこない。
このところ僕は、まるで人のことを完全に無視しているかのごとくだが、そうではないのだ、もう僕一人ぐらい、別の原理で機能している実物として存在していないと、このパターンが世の中に皆無になってしまう/もちろん僕の言っていることは、常識的にはタワケの限界突破みたいなブツだが、それにしては「なぜコイツの歌と言葉と物語はこんなに上手いんだ?」というナゾが残るだろう、僕自身そのナゾを追いかけた者なのでこんなことになってしまうのはしゃーない。
僕はまるで人のことを無視しているみたいだが、そうではない、僕はたしかにあなたのことを無視しているが、あなたのことを無視していないナゾの何かのことを、僕が無視していないので、こんなことになるのだ/つまり、僕があなたを気に掛けたって、けっきょくあなたを豊かにするのに最善ではないということが知られているのだ、僕があなたに仕掛けられる最善は、あなたが無視している、そして向こうはあなたを無視してはいない、何かよくわからないにょん(略)と、あなたを接続することだ、あなたがあなたの物語を上手くなる以外にあなたが豊かになる方法なんてありっこないんだから。

あなたの自分(我)をブッ壊して、あなたのにょん(主)と接続したら、ようやくあなたはあなたになる。

ここ十数年、降り注いでくるものに比較して、われわれの証した成績はガッタガタだぞ! おれの言っていることがわからん奴は、壇上に立たせて「わたしの物語」を話すという刑罰に処す、その刑罰に処されたら、いかに自分の「物語」が破綻と偽装に満ちているかがわかるだろう、まさかオメェ、お茶の間向けにウケがいいように加工された姑息的物語を言うんじゃねえだろうな、聞いたところ三十分後にはキレーに忘れ去られるものをよ、それを物語とは言わんぜ。
われわれはけっきょく、歌と言葉と物語そのものにならねばならないが、自我が歌と言葉と物語になりきるなんてことになっては、そりゃイタさ爆発というものだぜ、己の主が歌と言葉と物語そのものにならねばならないが、それを言うなら己の主というのはもともとが歌であり言葉であり物語なのだから、そこに人為的な細工はしなくてよいのだ、鹿が鹿のフリをすることはあるめえよ、にょん(略)は元からにょん(略)なのだから、それか歌や言葉や物語のフリをすることはない/なんだこれという話だが、なんだこれというならあなたは何を手がかりにこのわけのわからん話を聞きとっているんだ。

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