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WS報告024(1)/善悪と犯罪と作品

「よくはたらく人や、ものわかりがよい人は、善人だろう、それに比べると、ずっとエロ本ばかり読んでいる人は、善人ではないだろうな、悪趣味というか、悪趣に入る、ただそれでも、その悪は "犯罪者" ということではない、ただのエロ本野郎だから/こうしてわれわれは善悪とは別次元に "犯罪者" を捉えている」
「犯罪者といっても、ひったくりとかそういうのは、程度が知れていると思うのだけれど、もっと凄惨な、猟奇的なまでの犯行をする人もいる、そういう人はもう、善悪では捉えられないヤバイ奴だとわれわれはみなしている、それはある意味で "別格" の人だ、もちろん悪い意味で/もう人為的でない何か悪魔でも憑いているんじゃないかと、われわれは恐れて絶対的な距離を取ろうとする」
「このように、人為や善悪の観念ではもはや捉えきれないもの……その犯罪者の対極に、つまり麗しい側に、学門や、愛や、作品がある、善悪の観念を越えて何かが起こっているということ、そのアカン側がド犯罪者で、イイ側が "作品" を産み出す人なんだよ」
「ここをはっきり捉えないと、おれはもう、みなさんを単なる善人で豊かな暮らしでヨカッタネというほうにしか、押し出すことに協力できない、それも決して悪いことではないけれど、でもそれならわざわざおれがしゃしゃり出るようなことじゃないし、みなさんもわざわざおれのところに来ることなんかないだろ?/善人も悪人も、われわれはただ生きるしかなく、どちらもただ死んでいくしかないのだけれど、学門や愛や作品を産み出すということは、その善悪と "ただ生きる" ということを超克している、このことの門をくぐって、せめて一合目にだけでも到達しようやという話をしているんだよ」

「誰だって小学生のときに、校内写生をさせられるけれど、そのときに描いた絵を "作品" とは呼ばない、少なくとも当ワークショップでは呼ばない/われわれはその校内写生を見て、誰かの魂に出会うわけでは、実際ないからね、それぞれに描いた絵は大切なものかもしれないし、宝物かもしれないけれど、それまでを "作品" とみなすと話がボケる、少なくとも当ワークショップではそれを目指すべき "作品" とは呼ばない」
「われわれは生きているうちに、ただ生きてただ死んでいったというだけにならないように、学門か、(世界)愛か、作品を実現しなくてはならない、スケールは小さくていいんだよ、ヘタでもいいしヘッポコでもいいから、それでもこれは明らかに "作品だ" と言い得るものに到達する/その意味で作品ということを捉えると、実はメチャクチャ難しいんだよ、霊魂だのカミサマだのを確かに言わないとやっていられないというレベルになる」
「誰でも、ちょっとした小説を書いてみたいと思うことがあるし、ちょっとした寸劇をやってみたいとか、ちょっとしたダンスを踊ってみたり、ちょっとした歌を唄ってみたりしてみたいと思うことがある、だがその "ちょっとした作品" というのは、実はメチャクチャ難しいんだ、<<生きているうちに最も出来ないこと>>と捉えたほうがいい、その出来なさは、たとえば "ちょっとした数式の証明法を自分で思いついた" というぐらいの出来なさなんだよ、とてもじゃないが誰でもがさせられる校内写生のレベルと同列に比べられるものじゃない」
「善悪の尺度を超えて、やってやろうじゃないかと自己決定したという点についてだけは、犯罪者を見習うべきなんだよ、ちょっとした作品をどうたらこうたらなんて、生きていくことに足しになるわけじゃないし、誰かにやれと言われるわけでもないんだから/犯罪者というのはメチャクチャだけど、少なくとも、自分の生きることにマイナスになるし、誰にやれと言われたわけでもないのに、それを自分でやってやろうじゃないかと自己決定した、その点だけは見習うべきだ、だからわれわれは重大な犯罪者の名前を知っている、それは偉大な作品の主の名前を知っているのと同じなんだよ、われわれはそうして自分の生活とは関係ない誰かの名前と出会うんだ」

「目を覚ましてやる/そもそもみなさん、作品を産み出すということに必要なエネルギー量を誤解している」

(僕がぶち抜きのデカい声――ただし「作品」の声――で言葉を発すると、むろん全員がウオッと目を覚ました、そりゃビックリするわな)「われわれがたまに、友人に誘われたりで、街中の市民劇団の演劇を観に行ったりすることがあるけれど、それを観て楽しみはすれど、大きく感動するなんてことはまずない、むしろたいていの場合は、劇団の人たちだけが大声で盛り上がって、当人たちは楽しそうだけれど、観ているわれわれは置き去りで、よくわからずに退屈させられるものだ、でもそうした人たちだって演劇を何十年もやっていたりするんだ、それでもそれが現実なんだよ/これは中傷で言っているのじゃなくて、作品を産み出すというのはそれぐらい難しいということなんだ、何十年やっても "作品" なんか出現しないというのが当たり前なんだよ、これは侮辱じゃない、 "作品" とはそういう次元のものであって、だからこそ何もしないよりは何かに取り組むべきだとおれは思っている」
「おれはみなさんを見ていて、たまに怖いと思うことがある、それはなぜかというと、ちょっとした "作品" を産み出すということが、やればできると思っているふうに見えるからだ、おれはそれはとんでもない誤解だと断じるよ、小規模であれ "作品" なんぞを現出せしめるということは、生きているうちで最高難度のことだ、おれはインチキ山の九合目まで登ったことを誇ってほしくない、どれだけヘッポコでもいいから本当の門をくぐって本当の山の一合目にまでたどり着こうじゃないか」

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