☆いい女☆で行こう!

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物理的に倒れ伏すという「礼拝」が起こる仕組み3/代表例としての「おじぎ」

れわれは「力」を偉いと思っているのだ、なぜならわれわれは生きものだから/生きものの世界においては、力があるほうが生き残れる、弱肉強食のルールで勝利してゆける。
だからこそ、われわれは自分が誰かを「やっつける」ことを快とし、誰かに「やっつけられる」ことを不快とする、われわれの救われがたさは、この「力への帰依」にある/われわれは、力あるものに頭を下げている、つまり会社の上司に頭を下げているし、たくさんお金を払ってくれる太客に頭を下げているし、権力のある顔利きに頭を下げているし、腕力のあるガキ大将に頭を下げている。
つまりわれわれは、ふだんから「力」に礼拝していることになる、このパワー礼拝は本来の礼拝の作用をもたらさない、そりゃ銀行に頭を下げて救われるならわれわれは生きていくだけでバリバリに救われることになるだろう、銀行に頭を下げずに暮らしていけるケースなどほとんどないのだから。
生業をしていると、お金に頭を下げるわけで、そのこと自体、通貨発行権を持っている中央銀行に頭を下げているようなものだから、われわれはごく一般的に、力の信徒であるわけだ、生存本能というのはそういうものだからしゃーない、こんなものにわかに解決なんかできっこないので、あるていどうまいことごまかせ。

仮に、AがBに、「力」を行使したとする、するとAはBに対して上位になる、ところが数千分の一秒に出現するカミサマに接触すると、「な、なんだこれ!?」と、上位と下位が反転する、「力」を行使しているAの側が、下位になっていくのだ、力を使えば使うほど下へさがっていく/そこでAは、己の信じていた「力」の正体を知るのだ、「力」は「重さ」であって、自分を下へと押し下げていく性質のものだということを知る。
数千分の一秒に生じることを捉えるには、われわれは極限まで力みを捨て(ゼロ状態になる)、真に胴体の中心から、全身をひとつにして挙動しなくてはならないが、もしこのことが可能になれば、どういうことが起こるかというと/たとえばAがBに力を行使していたとして、Bが胴体の中心からまっすぐ、ひとつで「おじぎ」をしたとする、本質的には数千分の一秒だけその「おじぎ」は生じ、ただちにゼロ状態に戻るので、あとはおじぎの「残り」が動作するだけになるが、このときBは「うおっ!?」となり、ペシャンコになるのだ、AがおじぎでBをペシャンコにしたのではなく、BがAに向けて行使していた「力」が自分自身をペシャンコにするのだ、相手をやっつけるつもりだった力は相手を持ち上げることに向かってしまい、相手を持ち上げるぶん自分の地位は下へ押し下げられていく、「こなくそ、こなくそ」と力を入れるほど本人が下へ押し下げられてペシャンコになる、つまり数千分の一秒に生じたおじぎで力の「偉い」が反転するのだ。
AがBに「力」を行使しているとして、このときBが、真に「礼拝」に及んでいるミリ秒のおじぎをバッとすると、Aは「うわっ!?」とスッ転ぶのだ、これは物理的な現象(自分の力)だが、本質的には具体的な接触のみで生じるものではない、なぜなら具体的には触れていなくてもこの転倒は生じるからだ/触れてもいないのにスッ転ぶし、その「反転」の原因主は数千分の一秒しか生じないので、見ていても何が起こっているのかはさっぱりわからない、どうせ何かのヤラセか催眠術のたぐいにしか見えない、けれども四人同時にこの技をかけると、四人が同時にスッ転ぶので、そんな単純なヤラセとか催眠術とかのたぐいではない、ヤラセにしてもそんなにきれいに揃って同じ形にスッ転ぶのはむつかしいはずだ、確かに「投地」というような形で四人が同じ形につぶれていく。
だから、ありふれた話に決着するのだが、力を威張らせずに、身体の中心から全身をひとつに「おじぎ」をすること、それを生活の中で当たり前にすることは、とても大切なことだ、日常生活の中でこれを常に養っておくことの、いかに有為で救いにつながることだろう、頭を下げるというのは瞬間のうちに起こるべきことで、頭を下げるというのは力づくでグイーンと下げるものじゃない、われわれは単なるバネ仕掛けの筋肉人形ではないのだから。

Bが数千分の一秒で、目に見えない「おじぎ」をしたとき、Aは「うはっ」と、<<うれしそうに苦しんで>>倒れる。

面白い話、「おじぎをした側が勝つ」んだぜ、まったく面白い話だ、ただしそのおじぎは勝速日というような速さだが、力の強いほうが勝つのではなく、おじぎをした側が勝つのだから、見ていても面白いし、力が強いままスッ転ぶ当人も面白いのだ、うれしそうに苦しんで倒れるというのが特徴で、このほかに「嬉しそうに倒れる」というわけのわからない有様はない。
自分の力で自滅していく当人が「うれしそう」なのは、いかなる力の強い者だって、自分が弱肉強食の世界でただ有限の時間を生かされるということ、そしてそのまま老衰で死んでいくだけということを、こころの底からよろこんでいるわけではないからだ、われわれが各種の力を信仰しているのは、因果の結果であって魂の希求の結果ではない/だから、「自分が力を使っているのに自分がつぶれていく」という、一般の因果律に反転している現象の只中、誰だってそのことをよろこぶ、人は自分の力でつぶれていく中、魂のどこかで「こ、これは、わたしがおじぎしていないからだよ〜」ということを知っているようだ、だからまるで我が意を取り戻したような顔でよろこびながら倒れる。

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