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"ガチ" 3/「フィクる」ということ

かりにくければ、「ガチる」の反対側に「フィクる」があると捉えればよろしい、言葉・数式・学門はフィクションですし、音楽も踊りも物語もフィクションです。
たとえば武道には色んな「型稽古」がありますが、「型」というのはひとつのフィクションです、こうして「ガチる」の反対に「フィクる」がある、というのがわかりやすいでしょうか、学門のすべてはフィクションですので、「フィクる」という能力と教えがなければあらゆる稽古が空転します。
フィクるという能力がなく、また教わってもフィクることができない者は、何もかもをガチることしかできません、そして学門はフィクションなのですから、ガチる人は学門においては寸分の獲得も向上もできないということになります/稽古はフィクることが前提です、フィクることがわからない人は即刻フランス外国人部隊に入って「ガチ」の戦場でがんばってください、そうした人はたいていガチることには無限の自信があるものです。
たとえば「重力」というノンフィクションがあったとして、これを「ガチる」には、重い石のものすごい「重さ」を身に浴びたり、高層ビルから飛び降りて地面に叩きつけられる「強烈さ」を体験しまくるというようなことになりますが、そうした人は f=ma の方程式にたどり着くでしょうか、重力加速度が時間に比例して9.8m/s/sと知るでしょうか、「移動距離はt秒後に ∫atdt だな」と導かれるでしょうか/物理学は学門ですが、ガチる人にはどうしてもこれらの方程式が「何の意味があるねん」と "憎悪" の対象に感じられます。

もちろん世の中には、身をもって出来なければ何の意味もないということがあります、むしろほとんどのことはそうです/浸透圧の数式を知ったところで、料理人のような旨い煮物が作れるわけではありません。
ただそれでも、断言しておいてよいでしょう、真に「夢のような」ものを産み出そうとするとき、それは煮物であっても学門です、机上の学門ではなく、俎上の身をもった学門ということになります、いつかのときこのように思い出せるように覚えておいてください、<<ガチったものはどうしても言葉には到達しません>>、どれだけ実戦に通用する高度で鍛えられた技術を持っていたとしても、その「ガチ」は、高い評価を受けながら、けっきょく真の祝福を受けられません/たいへんハイレベルなのですが、それはただハイレベルだったというだけで、やがて消え去っていきます。
なぜ「ガチ」のものは、そうして「永遠」には到達できないように縛られてあるかというと、それはけっきょくわれわれの生が有限だからです、誰でも少し考えればわかることですが、宇宙的に見ればわれわれの生は「正解」ではありません、宇宙的にはわれわれの生など、あってもなくても同じようなものです/われわれが「ハイレベル」のまま死んでいくのだとしたら、そのとき「何がハイレベルだ、あほくさ」と首をかしげながら消えていくよりないでしょう、ハイレベルで死んでいくことと、低レベルで死んでいくということに、そのときになって「今さら何の違いがあるのだ」と、そのときにはもう口論する意義さえ消え失せようとしているのです、生きているうちは「ハイレベル」ということがずいぶん立派に見えるものですが……
そのようなわけで、仕組みは困難ですがシンプルです、机上の空論などは確かに意味がないでしょう、もちろん身をもって現成せしめることが本分ですので、つまりただ「己の身をフィクる」というだけです、そうするとそこには死滅とは無関係の――この宇宙を解き明かした数式や言葉と同じく――永遠の世界が現成します、身をもって永遠の世界を現成する、ただそれだけのシンプルなことです/だが己の「身」という、最もノンフィクションに感じられるものを、ガチらせるのではなくフィクらせるということ、それがあらゆる意味で困難をきわめるのでした、ニュートンの数式は確かに宇宙の一端を定義してニュートン物理の世界を展開していますが、われわれは身をフィクらせて、宇宙の一端の定義と展開する世界を証することができるでしょうか。

ニュートン方程式が実戦で使えないというロケット開発者はいない。

さあ、めくるめく血みどろの「ガチる」世界の背後に、端然と仕組みたる言葉と数式が佇んでいるのだとしたら、われわれはガチ世界から何を抽出してエッセンス化し、そのエッセンスから何を数式として己の身に宿らせればよいでしょう、己の身をフィクらせるというのはそういうことです/このことを無視して、われわれは常に行き当たりばったりの「ガチ」で、人に何かを言い、握手をし、キスをし、セックスをし、乱暴をするのでしょうか、実際に多くの人はそのようにしていますが、彼らに向けてあなたは嘘偽りない beautiful の賛嘆を向けることができるでしょうか、とにかくガチで火薬を筒に詰め込めば、人類は火星に探査機を送れたでしょうか。
本来の手続きは、思われていることの逆です、先に火星にまでロケットを飛ばして着地させたいという望みがあり、そのためには物理の秘められたる法則を解き明かす必要があったのです、フィクるというのはそういうことです、「火薬量を倍にしたら飛距離は何倍になる?」「総重量を半分にしたらどうなる?」「これらの実験からデータを集めたら、火薬量xと筒の重さyで飛距離はzになるという一般式を導出できるのでは?」/こうして彼らの追究した学門によって、実際に探査機は火星に降り立つわけです、それが果てしなく誠実な営みだと見えるか、「意味なくない?」と憎悪の対象に見えるかは人それぞれです。

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