☆いい女☆で行こう!

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学門をしよう

、ちょっとゴタゴタしている。
ゴタゴタしている中で、僕は思うのだが、やはり学門なのだ、われわれは学門をするしかない。
なぜ学門をするかといって、学門をやらないと、われわれは気が狂ってしまうからだ。
気が狂うといって、われわれの狂気は、甲高く叫ぶような形ではやってこない、もっとじわじわ、「平凡」「無難」「妥当」という形でやってくるのだ、だからわれわれは抗して学門をせねばならない。

われわれはすぐ実感を頼りにする。
実感はわれわれの味方ではなく、われわれが実感を手にしているわけではないのに/気づくだろうか? われわれが実感を手にしているのではない、実感の側からわれわれのほうに突き刺さりに来ているのだ。
夢のような導きと、グッと来る実感が、対極に起こるのだが、後者の方は何も味方じゃない/学門をやるということは、人の世から離れるということだが、われわれは人の世でじっくりと狂っていくのだ、われわれはどうしても「人の世は正しくない」という見切りをつけられない、それでいくらでも勧誘にかかってしまう。
人の世はけっきょく正しくないのだが、一方で、学門が「正しい」というわけではない、なぜか? それは、学門に導かれてゆくときに、それが「正しい」という実感は与えてもらえないからだ、何につながっているのかわからないが「これがわたしだ」ということだけが視える、だから学門をやろう。

学門をやるということは、成功や失敗から関心が消えるということだ。

過酸化水素水に二酸化マンガンを入れると、酸素ガスが噴き出てくるが、それをもって「成功」とは言わない、正しいとも言わない、ただ「学門」だ、この「学門」に入らないと、われわれにとってはどうしても有利に生を為すことが「成功」になり、そのくせ最後は必ず死んで「失敗」する、成功と失敗で捉えると、われわれは偽りの成功からやがて絶対の失敗に行き着くしかない。
どうやっても「成功」はないし、どうやっても「失敗」はない、ただ学門だけがある、周囲には成功しようとしているふりをしていればいい、どうせ誰にもわかりっこない/成功も失敗もないのでは何をしたらよいかわからないか? そんなことはない、毎日の目覚めに見出すことがあって面白い、なぜこんなことがまかりとおるのかという不思議と面白さでいっぱいだ。

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