☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< 学門をしよう | TOP | 涅槃寂静(単位) >>
正式と実物
社では、二礼二拍手一礼が正式なのかもしれない。
それが正式だというなら、そのとおりにしたらよいだろうが、どれだけそれを正式にやっても、二礼二拍手一礼それじたいはカミサマではない。
「正式にはどうやるのか」というのは、あくまで「式」のことであって、「略式にはこう、正式にはこう」という答え方しかない。
正式なものはただ正式なだけであって、何ら「実物」とは関係ない、正式に夫婦になったものが夫婦の実物になれるわけではないし、正式に教師資格を得た者が、教師の実物になれるわけではまったくない。

なぜかというと、「正式」ということの背後には、「◯◯式」というものがあるからだ、例えば結婚式だと神前式とかキリスト教式とかがあって、その「式」が先にあるからこそ、そこから専門的に正式とか略式とかが発生しているにすぎない。
そして、この「式(正式・略式)」というものには、必ず背後の権威団体がある/どのようにするのが正式かと、カミサマが教えてくれるわけではないので、われわれは必ず「正式にはどのようにするのでしょう」と、権威団体の担当窓口に問い合わせするはずだ、そして「正式にはこうです」というのは、必ず最後には「ウチがそう決めてますから」という権威の本尊に突き当らざるをえない。
権威団体の担当窓口は、そうして「正式」のやり方を教えてくれるが、それは仮に権威団体が東スポだった場合、「東スポ流・東スポ式・正式作法」を教えてくれるにすぎず、その式が求めるところの実物をもたらしてくれるものではない/もし僕がトヨタから正式に「お前はサイドブレーキな」と任命を受けたとしても、僕はサイドブレーキの実物にはならない(なれない)し、このとき<<何が正式かを決めるのはトヨタであってサイドブレーキではない>>、サイドブレーキの思惑とは関係なくトヨタがサイドブレーキを決定する、だからそのへんの生ハムを「正式サイドブレーキ」と認めても構わないのだ(もちろんそれは結局、正式なだけでサイドブレーキの実物ではない)。
このようにして、つまり「正式」というのは、単に背後の団体さんパワーが決定しているのだ、だから団体さんの意向によっては、「あれ? 実物なんてどうでもよくね?」ということが往々にしてある、そりゃ「バレンタインデーには男性にスタンガンを贈るのが正式」と教会が言い出したら、正式というのはそれだとわれわれは従うしかない、結婚式では誓いの回し蹴りをするのが正式と言われたら、「正式」というのはしゃーないのだ、粛々とそれに従え。

ブッダもキリストも、当人が「正式」を定めてはいない。

「正式」を定めているのは「団体」だ、その団体がブッダやキリストを「掲げている」というだけで、なぜその「正式」が重要なのかは、団体のみが知ることだ、団体が掲げているものは関係ない/ブッダもキリストもその正式が重要なのかどうかはわからず、ただ「正式」を定めるには、団体とそのボスが一番偉いのであり、よってキリスト教の「正式」にはイエスキリスト当人さえも従う必要がある、冗談ではなく「正式」というのはそういうことだ。
仮に現代にソクラテスが再誕して、辻で小学生たちに算数を教えていても、それは「正式には教育ではない」ということになる、本当にそういうものだ/言うなれば、この「正式の実物離れ」と呼ぶべきものは、現代において驚くべき深さにまで進行している、だからこそわれわれは実際のこととして、よほどのやむを得ない用事があるときを除いては、自ら「正式」の誰かに接触しようとはしないのだ、それはもはや「正式」に触れることが実物から離れることに等しいと奥深くで直観されているからだ。
正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |