☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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涅槃寂静(単位)
槃寂静は単位だ。
三割三分、三厘、三毛……と続いていって、その終端が「涅槃寂静」になる。
これはむろん、ミリとかマイクロとか、ナノとかピコとかも同じだから、ナノテクノロジーというものがあるのならば、涅槃寂静テクノロジーというのも成り立っておかしくない。
ちょっと今、用事でゴタゴタしているので、あんまり丁寧に書き話す気になれないが(おれがゴタついているわけではない、おれ自身は常にハッピーでラブアンドピースだ)、涅槃寂静というのは単位なのだ、そりゃナノ秒やピコ秒にさえ間に合わないわれわれには、ヨクト秒(涅槃寂静秒)の速さには到達できない。

われわれは何かを「認識」し、それに対して「思念」を起こすことで行動し、挙動している。
だが、その認識や思念が起こるのには0.01秒ぐらいは掛かるので、とっくの昔に "間に合っていない" のだ、もう遥か昔に何かが起こり、遥か昔に終わってしまった。
われわれは、イライラするといって、3億年もイライラするつもりはないし、三日間もイライラはしにくい、三時間ぐらいならなんとか……それが三秒でまるっと終わったら「速っ!」となる、それが三ピコ秒で終わったら普通の感覚では把握さえできないだろう。
カルマは阿頼耶識に発生するとかいうので、10^-22秒以内に「終わる」ことができたら、人はカルマから離脱して動けるのだろう、そりゃそんな微粒子を閉じ込められる格子はない。

0.01秒も経ったら、もう学べるわけがない。

だってもう、だいぶ前に終わっているし……もう面倒なので本当のことをズバズバ言うが、人に「もう終わっています」というワザを何度か掛けると、なぜか知らんが、掛けられた当人が、そのワザをいつのまにか獲得しているのだ、別に獲得するつもりではなかったとしてもだ/何年も掛けて何かを練習したり修行したりするのは、一瞬を入れるためなのだ、何年も掛けて一瞬を入れるのだ、一瞬が入ってくれるなら別にもったいぶってキャリアの年数を増やさなくていい。
われわれの世界で、実際には何が起こっているか? われわれが世界を観測したとき、肝心なもののすべてはとっくの昔に終わってしまっているわけだ、目の前に次々に起こり、次々に終わっている、だからわれわれはこの世界の根本の大半を見落としてしまっている、そんなことはいかにもありそうじゃないか。
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