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自動販売機にならない方法2

分の振るまいが、自分の「運び」を決定づけるというのは、おそろしい事実だ、こんなことを知らされないで生きてきたというのはなんと不公平なことだろうか。
自分の振るまいで、自分の「運び」が決定し、その「運び」によって、自分の住む世界が決定する/その「世界」というのは、「どのようなことに縁が近く」「どのようなことに縁遠いか」という形で得られてくる、たとえば "助け合う" ということに縁が近い世界の人もいるし、助け合うなんてことにはまるで縁が無い、考えるだけで縁遠いというような世界の人もいる。
誰だって冷静に考えれば、自分は業務だけの自動販売機にはなりたくないと思うだろうし、かけがえのない本分というものが己が生に得られるならば、ぜひそれを得たいと思うだろうが、どちらに縁近く、どちらに縁遠くなるかは、「運び」とその先の「世界」によって決められているのだ、「運び」があなたを「業界」という世界に連れて行くなら、もう何をどうやっても本分は得られない、ひたすら業務だけになってゆき自動販売機にならざるをえない/それは、当然、これまで人を自動販売機扱いしてきたのだから、己もそのとおりになるということでもある。
先日からワークショップに「へんためボックス」を設置したのもそのせいだ、人は当然ながらいろんな業者にカネを払いながら生きているが、誰かの本分に一銭も投じないで生きていくと、やがて自分が己の本分に身を費やそうとしたときにも、そのときには「本分などには一銭もバックアップが与えられない世界」に行き着いているので、まず身動きが取れなくなる/自分が業者しか認めずに生きてきたならば、当然自分も業者になることでしか誰にも認められないという世界を生きることになるのだ、この「運び」については多くの人が、二つの運びを同時に目撃したりすることがなかなかないので、「運び」というのは自分の運ばれてきたその一方向しかないものだとどうしても思い込んでしまう。

たとえば、ピアノを習ってきた人は、自分がピアノの先生になろうと考えるかもしれない、「そんなに実入りはよくないかもしれないが、それなりにやっていけると思う」、そのことはきっと自分にとって「縁遠くない」と感じられるだろう。
それはなぜかというと、実はピアノの技術があるからではない、自分がかつて生徒としてピアノの先生にお金を払ってきたからだ/もし、自分がピアノを習っていたとしても、それ以上にピアノの演奏会ばかりに顔を出していたならば、その人は逆にピアノの先生になろうとは考えないだろう、それは教室から縁遠くなり演奏会(会場)に縁が近くなっているからだ、そのようにして過去の振るまいが己の「運び」を決定していて、気づけば自分の住む世界に行き着いている。
だから、これまでの自分が誰かの「本分」に無関心で居続けたならば、そのことがすでに何十年の「運び」を形成しており、すでに「自分の本分を人が認めてくれる」ということなどはるかに縁遠い世界に行き着いているのだ、これは因果応報というより単純な「自明」のことだが、それにしてもこの原理をまったく知らされないで誰もが自分の舵取りをさせられているのには不公平がある。
自分の行く先は、ほとんどがこの「運び」によって決定されるので、もともとの「運び」の形成が失敗していると、後になって一念発起しても功を奏さない/自分が首を突っ込んで称えた世界が自分の「先達」になり、自分が謗って後足で砂をかけた世界は自分にとって「無縁」になるのだ、あとはどうやっても基本的に「先達」の方向へ運ばれてゆくのであり、「無縁」のほうへ漕ぎ出そうという努力は徒労で終わる、じゃあどうせ己を尽くすなら、「運び」のことを計算に入れてデザインするべきだ。

「この人のようになる」というのは、仕組みであって意志ではない。

「この人のようになりたい」という場合も、逆に「この人のようにはなりたくない」という場合も、本人の意志は関係ないのだ、「運び」が連れて行くのは必ず「先達」の世界なので、自分がまずその「先達」の世界をクリエイトしなくてはならない、「先達」の世界のクリエイトに寄与したとおりに、自分の「運び」もデザインされていく/これは何も摩訶不思議なことではなくて、単に人が持つ「世界観」という機能の性質にすぎない。
わかりやすく言うなら、たとえば子供の持つ将来の夢といえば、多く「学校の先生」だったり「マンガ家」だったりだ、それは子供が学校の先生とマンガ家というものを成り立たせるのに寄与しているからだ、「自動車のステアリング技術開発車になりたい」とはあまり望まない、それは子供が自動車のステアリング産業を成り立たせるのに寄与したことがないからだ、このようにして人の「運び」はまったく自覚のないところで決定されている/よって誰かが本分を為すことに寄与したことがない者は、そもそも己が本分を為すということにものすごく「縁遠い」と感じる世界に行き着いてしまっている、その世界のまま一念発起というのはあまりにも無理があるだろう、同じ一念発起するならしたたかに、根本の「運び」そのものからデザインしてしまうべきだ。

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