☆いい女☆で行こう!

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絶望が好きなわれわれの仕事

ークショップに来てくれている人が、「バリバリやらなくても仕事が回るようになった」と報告してきてくれた、これはとてもすばらしいことなのでピックアップしておく。
われわれは学校を卒業すると、だいたいバリバリ働きだして、そのことは死ぬまで続くのだが、なぜわれわれはバリバリ働くかというと、「絶望が好き」だからだ/これは、なんのこっちゃかつ、まったく意外なことだと思う。
われわれは、絶望が好きなので、自分の職場と業務に何の物語もないと見切ると、ただちにそれを「ガマン」する、よろこんでガマンすると見ていい、そしてガマンをすると人は「鬼」になるので、その鬼になって業務を徹底乾燥した形で見、こなしていくのが、一般にいう「バリバリ」という状態だ/そうでなければ、このようなオノマトペはつかない。
このとき、「何の物語もない」という断定が、つまり絶望であって、われわれはなぜか、この断定を偏愛して誇るという性質がある、われわれは乾燥して「仕事なんだからさ」と言い立てるのが「好き」なのだ/なぜそうなるかというと、すでに己が「鬼」になっているからだ、鬼は自分を鬼に保ってくれる「ガマン」と、その前提にある絶望・物語のなさを自己肯定感に転じている。

社会人、と一般に言われるが、これは「社会鬼」と呼び変えたほうが、実際に勤務・労役している人たちの実情に沿う/「社会鬼」と定義されたほうが、働く人々のストレスはいっそ少なくて済むぐらいだ。
加えて、どうしようもなく困ることは、自分の携わっている仕事には「何の物語もない」と断定することが、ほとんどの場合においてがっちり正しいということだ、事実そうだから困る/なぜそうまで物語が消え去っているかというと、すでに状況の全体が「鬼」の集団になっているからに他ならない。
この状況では、絶望が好きということ以前に、希望の持ちようがないのだから戯論だし、キミが職場に物語を作り出すのさ、というのはいくらなんでもウソに無理が過ぎるだろう、力関係において鬼が人に頭を下げることはないし、鬼が人の軍門に下ることはないのだから、物語の持ち込みは鬼たちからただちにヘイト攻撃を受けることにしかならない。
今のところ僕が思うのは、日本の産業はこうやって負けたきたのじゃないかということだ、そしておそらくすでに少なからぬ人が、受験も部活も今やっている業務も、すごく頑張ってきて、どこにも物語はなく、単純に「すべてはひたすらのガマンですよ」と感じているのではないだろうか。

勝った人は互いに物語を共有してきており、負けた人は互いにガマンを押し付けあってきている。

漠然と、二十年前には、一緒に働く人々のあいだで「物語」の共有はあった気がする、今はもうそういったものは皆無だろう/なぜ皆無になったかというと、単にわれわれが愚者になったからだ、愚者から順に何かしらの「ワナ」に引っかかっていったのだろう。
少なくとも完全な記憶としてあるのは、1995年のこと、阪神淡路大震災で駆けつけた初期の自主的なボランティアたちは、あまりにも際限なく働こうとするので、誰かか管理して労働時間に制限ルールをつけなくてはならなかったということだ、そのとき誰の魂にも「ガマン」とか「鬼」とかはなかった、ただ物語がわれわれを駆り立ててやまず、われわれは賞味期限切れのパンだけを食べて瞳を輝かせて過ごしていた。

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