☆いい女☆で行こう!

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「人と人はどうやって "出会って" いるのか?」

くの人は、加齢と共に、青春や恋あいを卒業していくだろう。
だがそれを卒業と呼ぶのは誤りで、なぜ誤りかというと、必要単位を取得していないからだ/除籍されたものを卒業と言い張るのは経歴詐称でしかない。
大学生はレポートを提出しないと単位がもらえないように、人の魂も、物語を獲得しないと必要な単位が取得できない。
問題は、現在の自分の魂がこれまでどのような物語によって形成されてきたかであって、現在の自分の地位や立場がどのように形成されてきたかではない、当たり前だが「履歴書」というのは生業の界隈でしか通用しない/もはやソウルの来歴しか必要とされない時代が来ようとしているのに、今さらになってギャーと言っている場合ではない。

子供のころから、知らず識らずのテーマであり、十数年前から、このブログや本サイトで開示して追究してきたテーマの謎が、ついに解けたわけだ。
僕はずっと、「世間から離れよう」「誰と出会って誰と遊ぶかは、おれ自身が出会い、おれ自身が決めたい、共同体にそれを決められてたまるか」と言い続けてきた、だからこそ、ずっとより直接のテーマとして、「人と人はどうやって "出会って" いるのか?」ということがナゾだった/僕は経験上、まるで初めから出会っていたような人と、街中ですれ違いにも出くわすということが無数にあって、ときにはそのまま初対面の人の家に上がり込んで数日間同棲するというようなことも珍しくなくあった、そこに何の違和感もストレスも生じないという事実が繰り返しあって、「これは何によって形成されているのだ?」と、このときにある光と感動が僕の長いあいだのテーマだった。
何のことはない、この「出会い」のナゾは、単に魂・ソウル・霊魂の現象だったのだ、それは稀な現象ということではなく、潜在的にはどこでも・いつでも・誰にでも生じる当たり前の現象だ、単に魂が「檻から出られない」からその現象が発生しないというだけで、本来なら「大人」になっていく過程で誰もが到達するべき当たり前の現象だった/このごろは「大人」というと、ただゴリゴリに生業に閉じ込められている人だけを指しているが、おそらくこの「大人」という認知が手痛い誤謬だったのだろう。
現状、生業・業務への閉じ込めと、それを「大人」ともてはやすことのムードは強化される一方で、つまり檻の強化ムードは苛烈なほど加速している/元来、魂は天と呼吸に属し、生は地と血液に属するから、生業は特に「地域」「血筋」に閉じ込められることで成り立つだろう、つまり徳川幕府が敷いた幕藩体制・封建制と変わらない、この中で人は誰とも出会わずに生涯を終えるのだ、もう学門としてケリがついたのでこのことは断言して差し支えない。

あなたは僕に出会えているが、僕はまだあなたに出会えていない。

そう説明されれば、なるほどと了解がゆくところがあるはずだ、僕の魂(ソウル)はあなたの檻を潜り抜けてしまうので、あなたは僕に出会うことができるが、あなたの魂は自前の檻から出られないので、あなたが動くと(肉体の気魄が駆動すると)、そこまで出会っていた僕の魂(ソウル)もはじき出されてしまうことになる/多くの人が僕の前で「動けなくなる(しかし内部では非常によろこんでいる)」という状態になる仕組みはこれだ。
動物園の動物は檻から出られず、もしその動物が檻から出たとするならば、その動物は「無限のサヴァンナ平原」を歩いているはずだ、よってこのテーマへのアプローチは単純に、どうしたら魂が無限のサヴァンナ平原につながるのかという一点に尽きる/地と血液と制度によって、多数の主体が同じ圏内の檻に閉じ込められていると、それは身近な身内あるいは仲間や知り合いのように錯覚されるが、その檻の中では何一つ「出会い」はない、このテーマに懸命なる者にふさわしいセリフは、「頑張ります」ではなく「待っていてください」だ。

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