☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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創作者と解体者

大な問題がある。
人は物語と接続して生きることが可能なのだが、それを成り立たせる仕手を「創作者」と呼ぶとして、その対極には「解体者」という仕手がいることを忘れてはならない/原則、すべての物語は解体者によって破壊されるだろう。
僕自身、これまですべての不可解さは、ここから生じていたのだ、何しろ僕は、解体者が執拗に物語を解体しようとする、その現場も動機もまったく知らなかったから/「犀(サイ)の角のようにただ独り歩め」という箴言がおおむねこれのことを指しているのだと今はよくわかる。
これまで何百あるいは何千と繰り返し体験してきた、ナゾの現象の背景がこれだ、僕は確かに創作者として魂(命)を用い、人に物語の端緒を与えることをしてきただろう、だがその背後には無数の解体者がいて、芽生えた端緒をただちに埋め殺すということを知らなかった、これまではただ当人が醒めるだけかと思っていたが、そうではなくもっとグロテスクなことが起こっているのだ。

今奇妙に、いっそ痛快なほどに、クリアに、「なるほどなあ、こういう仕組みか」と腑に落ちているところさえある。
光につながり、物語につながり、命に触れ、魂に触れた者が、数日とまたずまったく別の様相の目つき・顔つき・姿に変転してしまっているのは、これが理由だったのだ、まったくワキの甘くないシステムだ。
前もって「解体者」がその後背を包囲していて、呪縛をかけてあるから、どれだけ物語とつながっても無意味なのだ、後日になっていくらでも物語との接続は切断できる/このことを指して、「あなたがいなくなると、二日後ぐらいにはもう "黒い太陽" がのぼるの」と言った人があった。
いくら物語の端緒につながり、物語を形成してゆこうとしても、必ずそれを切断する「解体者」の群に包囲される/なぜ解体者の群が現れるかというと、物語なき者は他の誰かが物語につながることを否定・憎悪するからだ、つまりさらなる背後には、人為では抵抗しがたい巨大な「さびしさ」の悪魔が屹立していることになる、これが人を、他者の物語をも許さない軍勢の手先に仕立てるのだ。

「解体者」を前提せよ。

「解体者」の存在を前提したとき、是非の以前に、事実上の「多勢に無勢」があることがわかる、そんなことわかったってしゃーないが、わかっていなければ何と戦っているのかわからないし、どういう出来事が起こるかも予想がつかなくなってしまう。
こうして僕が書き話す与太話を、数年にわたって読み続けてくれている人も少なくなくいると思うが、そうした人は同時に、この与太話の記事群を誰か知人に勧めたいとは思わないだろう、それはたいていの場合、勧めたところでその人は解体者の側へ立ちはたらいてしまう見込みが大いにあるからだ、そりゃ数年にわたってこころを傾けて読んでいるものを、冷淡に「何コレ」と否定されるのは悲しいわな/ただし、そんなふうに否定されても、何がどうなるというわけでもないのでそこはご心配なく。

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