☆いい女☆で行こう!

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生活力と魂(命)の合理化

「地に足をつけて、実直に生きなさい」とはよく言われる。
「無限世界に魂を飛翔させて、物語に命を為さしめなさい」とはまったく言われない。
このアンバランスが生じるのは、単純に、「生」と「命」が混同されているからだ、人にとって死ぬのは「生」であって、「命」は死ぬものではない/命の不死性は、単に国語の問題であって、思想や宗教の問題ではない(羊はやがて死に絶えるかもしれないが、「羊」という forms は死にようがないだろという話)。
魂と命はほとんど同じものだが、わざわざ「命」と呼ぶのは、魂が無限世界の所属からしばしば「命令」を受けるからだ、「魂」というのはおおむね性質を表している語で(観測不能、という意味)、「命」というのはより直接の振る舞いを表している語だ(よく「命が宿っている」と表現される)。

僕は今、ひたすら合理化を考えている。
なぜ合理化を考えるかというと、現状が不合理だからだ、誰もが懸命に生きているのに、「生」に閉じ込められるだけで、何の魂も命もありゃしないなんて、こんなひどい話があるか/そして、ひどいのみならず、実際に不当なモチベーションの生成に魂を蚕食されねばならないという問題と、しかもそうまでして生きてもけっきょく勝てるわけではないという問題がある、ここを合理化して、少なくとも真に「マシだ」と言いうるような生き方を創出せねばならない。
なぜこんな不合理な状態がまかりとおっているかというと、全員が「ガマン」しているからだ、奇妙な言い方だが、全員ガマンしているから表面上は平穏なのだ/なぜガマンしているかというと、納得も理解もできないからで、なぜ納得も理解もできないかというと、与えられている情報が不合理だからだ、だから最低限のこととして情報を合理化する必要がある。
実は全員がガマンしているだけということを、誰も知らずに、しかもそのことを知らないようでいて、実は全員が知っているというような、薄気味悪い状態が出来上がってしまっている/僕は何もたいそうなことを言っているのではない、青春や恋あい、その他のもっと大きな愛、そこに魂や命があったということの、何が「たいそうなこと」なのか。

生活力を向上させつつ、同時に魂も向上させる、それこそを唯一の「合理」とするしかない。

現状、生活力を下落させる余裕は誰にもないだろうし、またそんなことはするべきではない、ただその生活力の向上と保全のために、魂(命)を否定する向きが短絡なのだ、最終的に見て勝ち筋でないなら、それはやっぱり生活力も下落させていることになる。
今のところほとんどの人は、「魂だとか命だとか、そんなこと言っていられないよ」ということを、自身で理性的・理知的・合理的だと捉えていると思うが、その割にその口上にはそれなりの悲痛さと否定的感情が強く含まれている/魂の向上と生活力の構造的上昇は、いっそ同時に取り扱うからこそ成り立ちうるのではないか? と、そのことに新しく idea を模索しないでは、もう精神が合理性そのものを投げ捨てているだろう、成り立つかどうかはさておき、そのことを一考もしないのでは単に知性が自暴自棄だ。

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