☆いい女☆で行こう!

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創作者と解体者2
れまでに一番多かったケース。
それは、僕がまったくの赤の他人と、なんとなくヘラヘラ仲良くなる……まあかつてはテキトーなナンパもたくさん含まれるのだが、その中で僕は一般には知られていない「出会い」という現象にまみえてきた。
そのことを通して、最も多く言われてきたのがこれだろう、ほとんど第一声に近い状態だが、「なんか、この人はぜったいに大丈夫、って思って。あはは」と/古くからの僕の友人は、いっそ驚異的なものとして、その実際の接触ぶりを知っているだろう。
そういう「出会い」という現象が、これまで数限りなくあった、今も本質的に変わらないが……逆にいえば、もしそういったことがなかったとしたら、ここまで大量にあれこれ書き話すネタがそもそもなかっただろう、実際に口頭で人と話すとよくわかるが、僕はこれだけ大量に書き話してきて、それでも自分の体験してきたことの、ごく一部しか話せていないと感じている、もし数値化して測量すればそのとおりだということが明らかになるだろう、僕は膨大な「出会い」の果てとしてこの場所に立脚している。

そして、一番多かったケースというのは、そうした「出会い」があった後日、相手とはまったく連絡が取れなくなってしまうということだ。
当時、なぜなのかはまったくわからなかったが、これはまったく僕にとって「いつものこと」だった、そこにかけがえのない出会いがあったことは疑いないのに(そうでなければ向こうも初対面のまま朝まで話し込んだりしない)、そのことはなぜか翌日には消え去ってしまうのだ/これは本当に「いつものこと」だったので、僕はいちいちそのたびに落ち込んだりはしなかった。
今になってようやく、当時から今に続くことがわかるが、僕がそうして「出会い」という現象にまみえて、そこに何か物語のシーンが産まれ出たとしても、その後相手は別の空間に帰るわけだから、そこで何かしら「解体者」の群と接触して物語を破壊されているのだ/そちらには「出会い」の反対の、「引きちぎり」とでも呼ぶべき現象が必ず起こっている。
僕は、そんな凄惨なことが、僕の知らない外側の世界で繰り返されているということを知らなかったのだ/赤の他人として「出会い」にまみえた誰かに、その後ばったり街中で出くわすことはよくあったが、そうして直接僕と出会うと、やはりまた何の違和感もなく、「まるで初めから出会っていたかのような」というシーンに戻る、これは物語の現象なのだ、けれどもこの後、やはり相手は帰れば「引きちぎり」の現象にさらされて、物語は解体され消失してしまう。

ネットには「出会い系サイト」が繁茂しているぶん、リアルには「引きちぎり系空間」が繁茂している。

多くの人は、自分が生きる中で、冷静に考えると本当に「出会いがない」ということに気づくと思うが、さらに気づくべきはその奥、出会いがないどころか「引きちぎりに満ちている」ということなのだ、多くの人が「リアル」の中で、いくら楽しく過ごそうとも、なかなか「夢のような時間」を過ごすことがないのはそのせいだ。
創作者、物語、魂と命は、「出会い」という現象を起こすが、解体者が為す「引きちぎり系空間」においては、人は「出会う」ものとは捉えられない、人は何かしらで「縛りつけ・括りつける」ものと捉えられているのだ/その呪縛と拘束は一時的に何かのつながりを錯覚させるが、後になっていずれ気づく、「これはつながっているかに見えて、実は "わたし" のつながりではない」と。
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