☆いい女☆で行こう!

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身体は「たくさんある」のが正しい
ういえばこのことを話すのを忘れていた。
人の身体は、各所が関節で接続されているのだが、関節は必ずA節とB節の接合であるため、各関節が「二か所」あるように感じていないとおかしいと話した/関節のA部とB部が二つ同時に感じられて、それではじめて関節の解放が成る。
そして、こうして関節の解放が進むと、たとえば肩なら肩の[胴体側][上腕側]、肘なら肘の[上腕側][下腕側]、と関節を二部に分けて感じるようになるのだが、そうするとなんというか、身体の各所がえらく「増えた」ように感じるようになる、上腕なら上腕、下腕なら下腕と、一緒くたではなくそれぞれのものとして感じられるのだ。
関節はそれぞれの節と節とを接続しているのだが、その関節が解放されるということは、なんとなく「節が取り外された」というような感じになるのだ/模式化するなら、節と関節の関係は「−−」と感じられていたものが、実は「−・・・・−」だったということなのだが、このとき各節の「−」は、何か「取り外せる」というような感じになるのだ、そのことが全身に得られてくると、何か「身体はえらいたくさんあるな」という感じになる。

取り外せるように感じる「節」が、たくさんあると、それこそ「バラバラ」のように想像されるが、実際にはそうではない、そうして身体は「たくさんある」と感じたほうが、正しく「ひとつ」として機能してくれる。
逆に団子のようにギュッと力を入れて、縮めて一緒くたにすると、その内部で身体の接続はバラバラになるのだ、われわれが「ふんっ!」と鼻息と共に筋肉を縮めて踏ん張ったとしても、押し合いへし合いではあっさり負けるのはそれが理由だ。
われわれはつい筋力に頼ってしまうのだが、それは逆に、筋力に自信がないからでもある、そりゃブルドーザーに筋力で勝てる者はいねえよ/われわれが関節を閉じ込めて呪縛するのは、筋力を自分自身にPRするためだ、われわれはいつも筋力が無敵のごとくあるように錯覚したがっているので、自分の知らないうちにも必ず関節をギュッと閉じ込めてしまう。
身体が「たくさんある」という感覚になると、もはや、身体の一か所に力を入れる・力むという、そのやり方そのものがよくわからなくなる、そうなると全身をまんべんなく使うようになっているのだが、それはもうまんべんなく使うようにしているというのではなく、局所的に使うということがわからなくなっているのだ、だからそこまでいくともう「技術」ではない。

タンスの一か所だけに荷物をパンパンにする人はいないし、それを分散することも技術とは言わない。

そりゃ引き出しが「たくさんある」タンスなら、どの引き出しも具合のいいように、まんべんなく使うだろう、当たり前だ/ただ人の身体がそういう状態になるためには、どうしても各関節が「二つの部分」から成り立っているだろという感覚(関節の解放)がいる。
タンスでいえば、引き出しというのも、引き出される側と、それを引き受けている本体側の部分があるはずなのだ、その二か所が一緒くたにくっついてしまっていると、当然引き出しはまともに開かない/われわれの身体はタンスほど単純な構成ではないが、原理は同じだ、各「節」はまるで取り外せるように感じていなくてはならない。
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