☆いい女☆で行こう!

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意識を無視せず小さくする
「すごく役に立つ話」と言われるので、ここにレポート。
人はさまざまなことを憂い、気にして、そのことに意識を食われるものだ、それはもう、日曜日の夕方からでも、ずっと月曜日のことが気になっているという状態がいくらでもある。
月曜日のことを気にして、日曜日を遊べないなら、もちろんただの損失でしかないということはわかっているのだが、わかっていても「つい……」ということがある、この現象は、程度がひどくなるとあっさり神経症になっていってしまう。
僕がそういうときにオススメするのは、そうして意識が食われるという現象、「気になる」という現象について、それを無視しようとせず「小さくする」という方法だ/われわれは自分に「意識」があることは知っているが、その意識に「大きい」「小さい」というスケールパラメーターがあることをまず知らない。

われわれはどんなことでも、際限なく「気にする」ということができるものだ、たとえば「いずれ中国と戦争になるかもしれない!」ということをえんえん気にすることもできるし、「冷蔵庫のシュウマイがもう賞味期限切れかもしれない」ということもえんえん気にすることができる。
実際、たとえば「ペットボトルここに置かないでって言ったじゃん!!」と、血管が切れそうな勢いで、突如として激怒する人は、世の中に少なくないものだ、いわゆる気分屋というのもそうで、母親として娘の結婚が巨大なテーマになったかと思いきや、翌日には婦人会の誰と誰の仲が悪いのよ、ということでウフフと笑っていたりする。
われわれは、自分の意識が食われ、何かが際限なく「気になる」という状態になり、半ばパニックになり、心身の機能を失っていくと、なんとかその意識が奪われていくのを止めようとし、何かしらの「癒し」を求めたり、ギャンブルやセックスや酒におぼれたりするが、それは実は正しい方法ではなく、もともと巨大化した「気になる」に対抗する巨大な麻痺をぶちこんでいるだけなので、身がもたないしコストも大きくかかってしまう。
われわれの意識と、その意識が食われるという現象には、サイズの大小があり、実はサイズには定義がないのだ、だからいくらでも「気になる」ということはわれわれを支配するし、逆に「あれ? 何を気にしていたんだろう」と最小化することもある/単に呪いをかければ問題意識と「気になる」はいくらでもサイズを拡大するし、逆に解放を得て大きなものに接続すると「気になる」はいくらでもサイズを縮小する。

残高が百倍になれば、出費は百分の一になる。

十万円しかない人の一万円は大きいが、十億円ある人の一万円は小さい、そして一万円に意識を食われているとき、その人は十億円に興味がない
これから千の機会と万の景色と億の出会いにまみえるのじゃないか、そうなるとき問題は実に小さい、問題や意識や「気になる」は消えてなくなるわけじゃない、ただそこまで小さいものをわざわざ消し去ろうという発想は起こらない。
できるオンナだね | comments(0) |
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