☆いい女☆で行こう!

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リアルな話、人生はカミサマに出会ってから2
ーむ、ふつう、人は「自分と向き合わねばならない」となると、自分の小ささと向き合わねばならないのが定番だが、この偉大なるおれさまの場合、自分の偉大さと向き合わねばならないという、ジョークのような状況が発生してしまう/いや本当にジョークなら助かるのだが、どうも状況証拠的にシャレになっていないから本当に困っている。
この自意識過剰の世の中で、「自分の偉大さに向き合う」なんてバカがいますか……? そんな奴どう考えてもドン引きなのだが、しかし事実として、あまりにもこの偉大なるおれさまと出会って人生を発見する奴が多すぎる、それでいて同時に、このことに正しく向き合わないと、近所迷惑アンド不毛のロスが大きすぎるだろうという、ナゾの予感もヒシヒシ来ているのだ。
タテマエはどうでもよく、ただ僕は、実際の現場としては、ある種の感覚に従わざるをえないのだ、それはその感覚に逆らうと、とてつもなくロクなことにならないことが前もって知られているからだ、なぜそれを前もって知っているのかはおれ自身にもナゾだが、これまでの万事の結果でも、やっぱりアカンと感じたものはそのままアカンことになっていっている、それで周囲は結果的に、「九折さんの言うある種のことはおっかない」と怯えているのだが、おれ自身にとってもおっかないのだ、おれがおれ自身をテキトーに扱うと、周囲をロクな目に遭わせないので、おれは正直なところ自分自身に難儀している。
ただそれでも、断言できることがあって、おれは誰とも変わらない一匹の人間であるに違いない、おれがカミサマということは決してなくて、それはおれの謙遜でも何でもなく、カミサマうんぬんというのはそういう自意識的なものではなくて「現象」だということだ/おれは誰とも変わらない一匹の人間にすぎないが、ある種の現象を使わないと遊べないので、ある種の現象をしょっちゅう使っている、ほとんど脳と全身のすべてをそれのために使っているような状態だ、おれに唾を吐くのはかまわないが、ある種の「現象」にはどうやら唾を吐かないほうがいいらしい、そしてこの「現象」をディールできるなら、別におれでなくていいのだ、おれがエライということはまったくないし、その意味では誰かがエライということがそもそもない。

先日から、「階層構造」のことをまとめていて、今その草稿は出来上がったから、完成稿にしないといけないのだけれど(早くしろ)、そういうセオリーを構築するときには、しょーもない謙遜とかを混ぜ込むわけにはいかない、そんなことでセオリーに虚偽が紛れ込んだら迷惑だし、そもそも品質がゴミになってしまう/だから正確に、知る限りの事実に基づくしかないのだが、「憐れみ」とは「要求」のことなのだ、二つ上の階層から「要求」してもらえるということが、二つ下の階層にとっては「憐れみを掛けてもらっている」ということなのだ、このことが現在の平等主義の中ではすさまじく折り合いがつかないので困り果てる。
たとえて言うなら、たとえば大学生は、一つ上の先輩からはいろいろ学び、二つ上の先輩からは「ジュース買ってこい」と要求されるのがイイのだ、そのことでしか階層転属ができないという「仕組み」があるのだ/この「仕組み」に反していると、どれだけ努力しても、どれだけ学んでも、上の階層へ転属できない(自分が変えられない)のだ、そんなことは誰にとっても大損に決まっている。
人は、己の所属する原理に支配されていて、そりゃまあ「原理」なのだからそれに支配されるのは当たり前なのだが、この所属原理が変わらないならいくら努力してもむなしいことであって、そしてこれまでの事実を総合して考えると、けっきょく所属原理の転属の決め手は「憐れみを乞う」ことなのだ/つまり「憐れみを乞う」という状態が成り立っているということは、要求を受けたときに起こる感興が、反発でもなく了解でもなく「よかった」なのだ、この要求に対して「よかった」という感興が起こるときのみ、人は所属原理の転属が起こりうる仕組みの中にいる。
この「仕組み」の中に正しく収まることができたら、実は誰でも上の階層へ転属していけるのだが、ここで問題になってくるのが、思いがけず「世の中が便利」ということだ、世の中がどんどん便利になるので、上のモンは下のモンにあれこれ「要求」するネタがなくなったということが意外にあるのだ、たとえばこれだけアマゾンが便利になると、誰かに対して「アレ買ってこい」と要求する必要がなくなってしまうのだ、それで人は今、主義的にも環境的にも憐れみと要求の仕組みから切り離されてしまっている、うーんこんなデカい話をかいつまんで話すのは無理だな。

おれが「絶妙」でなかったときは、カス呼ばわりしてかまわない。

重ね重ね、別におれがエライということはないのだ、その意味では誰がエライということもない、ただある種の「現象」があって、それはどういう現象かというと、奇妙なことに「絶妙」という現象だと、副詞的に定義するのが最も正鵠を射ることになる/カミサマという現象は、何も神秘的なものではないし、ふわふわとか荘厳とかそういうイメージ的なものでもなくて、確実に言えるのは「絶妙」なのだ、その「絶妙」を継続している奴の全身は基本的にヤバイので、さしあたり大雑把には「こいつがカミサマ」とみなしても一応は成り立つ、まあこれぐらいは常識の範囲で知っておいてもよいだろう、「絶妙」の只中にある者に対しダセー奴が平等風情で振る舞ってはいけない、それは本当に「だめ」なのでやめておいたほうがいいと、これぐらいは一方的に強く警告しておこう。
「カミサマとは絶妙のことである」と言って、まずそれは誤りにならない、そして「憐れみを掛けてもらえる」というのは、その「絶妙」の中から「要求」をもらえるということなのだ、この「要求」の中には高次の果報が含まれているので、こいつをスッと飲み干すと、なぜかわからないが上位階層に転属できる足しになるのだ、なんとなくそういう「丹」みたいなものがあるんじゃないかと、おとぎ話の中でよく出てくるだろう、これは「絶妙丹の果報」と仮称してそういうメソッドだと捉えておいてよいぐらいだ(問題はこの絶妙丹をその場で練られる奴がいるかどうかだ)。
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