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WS報告040(1)/「出来事」に実感はない
とえば過去に「大化の改新」という出来事があったらしいが、それについて「実感」はありえない。
ノルマンディー上陸作戦やベトナム戦争もあったらしいが、それについても「実感」はないだろう。
実感というのは、自分の身に直接起こることだけだからだ/頭が痛いとか吐き気がするとか、負けたのが「悔しい」とか、仕事が「イヤだ」とかだ。
頭が痛いというのは出来事ではないし、吐き気とか悔しさとか「イヤだ」とかいうのは、出来事ではない、このように「実感」と「出来事」は明らかに異なる/そして「実感」は誰にでもわかるが「出来事」は誰にでもはわからない。

「出来事」がわからない人は、ひたすら「実感」を信仰するしかないのだ。
どういうことかというと、たとえばビーチフラッグの選手がいたとすると、その選手はビーチフラッグで走る力感と、勝った快感と、負けたときの悔しさという実感で駆動している。
ここに純粋なビーチフラッグの選手がいたとしたら、彼にとってはビーチに刺さっている赤い旗が「リアル」であり、ベトナム戦争は「リアル」ではないのだ/彼には何の「出来事」も存在しておらず、ただビーチフラッグ競争に負けた「悔しさ」等の実感だけが存在している。
彼には「面白い出来事」もないし、「感動する出来事」もない、だからどんな映画を観ても意味はないし、どんな音楽を聴いても意味はない、「出来事」という事象そのものが存在していないのだからどうしようもない/彼はベトナム戦争の年表を世界史から暗記しているかもしれないが、彼にとってそれは期末試験の記憶であり、歴史上の出来事ではない。

最後に「死」という強制的な出来事だけが来て、すべてが狂う。

おそろしいことを言っているようだが、違う、この話から想像しうる限度よりも、実際は遥かにおそろしいことが起こる/人はけっきょく実感の果てか出来事の果てのどちらかに向かうようだが、実感の果てに向かう人を引き上げる能力は僕にはない、なぜなら当人がそれを信仰しており、本人がそれを選択しているからだ。
やがて誰しも、実感の果てに行き着いた者のおそろしさを知ることになるし、逆側の人はやがて誰しも、カミサマというのは身近でリアルな現象だということを知ることになる、ただそれぞれがそんなことをわざわざ言わないだけだ/わざわざ宗教がかって言う必要はまるでなく、「実感」と「出来事」は違うということだけ明視されていればいい。
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