☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< WS報告040(1)/「出来事」に実感はない | TOP | 闘う戦士達へ愛をこめて >>
WS報告040(2)/兵隊はどのように作られるか
度に訓練された特殊部隊などはこの例に含まれない。
人は銃口という直接の「死」を目の前に見たとき、どうしたらいいかわからなくなる、死という「出来事」を否定して生きてきたからだ/だから兵隊は号令で動く、どうしたらいいかわからないという中、聞き慣れた号令で「突撃!」と言われると、それだけに頼って突撃するようになる、それは単純な条件反射の蓄積だ。
「出来事」を否定している者を、「出来事」に覚醒させようとすると、けっきょく直接の「死」を与えるしかない、それでは覚醒させる意味がないことになるが/かつてサムライの「斬り捨て御免」が認められていたのも、本来はこのことによると僕は勝手に想像している。
たとえば剣道の試合があったとして、コンマ数秒差のスピードバトルが見られるには違いないが、それが真剣を目の前にして、というよりは「死」を目の前にして、同じ踏み込みができるかというとたいへん怪しい、僕の知るかぎり「死」が目の前にあるとき人は「ガチ」の動きはできないものだ、それはジェットコースターの最上部レールの上で「ガチの体操」をするのと同じだからだ。

「ガチ」というのは、実はルールの上で成り立っている/たとえば実践空手の猛者たちがガチでド突き合うのは、相手が拳銃を撃ってこないという前提の上だし、一対一という前提の上だから、「ガチ」ではあるに違いないが、その「ガチ」は本来の自由な「出来事」ではない。
「ガチ」というのは、実感を最大限解放するスタイルというだけで、そこにリアリティはあるものの、実は「現実」を表しているものではない、たとえばガチの格闘家はマフィアたちに囲まれて銃口で脅されたときにその「ガチ」でマフィアに対抗できるわけではない。
わかりやすくビーチフラッグの選手を例に出しているが、ビーチフラッグという競技は「ガチ」でやられるだろうが、透き通った「現実」としては、人が慌ててビーチ上の赤旗を取りにいく理由はない/このように実は「ガチ」というのは知らぬ間にルールの上に成り立っている。
それこそ兵隊さんは、ガチの訓練を受けているだろうが、それが「ガチ」であるからこそ、現実の銃口を――死を――目の前にしたとき、どうしたらいいかわからなくなる、だから「突撃!」という号令に反応する(というルールに)条件反射を刷り込んでおく/むろん僕は兵隊さんをバカにしているのではなく、ただ「兵隊」を有力かつ多数育成するのには、その方法が唯一かつ最大効率だということだ、人々は多く「ガチ」で暮らしており、ときに兵隊のようでさえある人もあるが、それだからといって本当に現実を生きているということにはならない。

「ラウンド1、ファイト!」と号令が掛かっている。

格闘家が自らの意志で戦っているのではない、「ファイト」と号令が掛かっているのだ、このルールに逆らって、リング上の両者がファイトとしなかったらどうなるか? 当然、その試合は没収試合となり、彼らは今後公式試合に出られないようペナルティが課されてしまう。
「ガチ」は「ルール」の上で成り立っている、そしてなぜ「ガチ」を始めるのか、当人たちにはよくわからないので、誰かの号令を受けて「ガチ」を始めるのだ、何が「ガチ」なのかは実はルールが決めている、私的であれ公的であれ「ルール」が「ガチ」を作りだしている……カルタ取りならカルタを取るのがガチだし、将棋なら王将を取るのがガチだ、兵隊はこのように作られている。
ワークショップ | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |