☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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おれが愛してやらなければ
とえばiPadを持っているのは世界でおれだけだ。
秋の涼風が頬に吹き付けているのも、世界でおれだけだし、過去に神戸に住んでいたのもおれだけ、現在目黒区に住んでいるのもおれだけだ。
おれはまったく無邪気だったので、カミサマを使役していた、そして現在も、やはり最低限のことを、「カミサマを使役すること」に置いている。
あのときからずっとおれは変わっていなくて、唯一変わったといえば、それがカミサマの使役なんだと気づいたことだけだ、それだって表面上の利便にすぎないから、やっぱりおれはあのときから何一つ変わっていない。

おれが愛してやらなければ、この世界は存在しない。
この世界が「存在する」というのは、おれが愛してやっているということだからだ、カミサマだっておれが愛してやっているのだ、それがカミサマなのだということをつい最近知ったにすぎない。
カミサマに感謝を捧げるようなアホ行為は断じてやめろ、おれは生まれてこの方、一度たりとも宗教的な気分になったことはない、どこの聖典にも宗教的な気分になれなんてアホ行為は書かれていない。
どんな聖人だろうがカミサマだろうが、おれが愛してやっているから存在している、すべての場所でさえ、あるいは季節でさえ、おれが愛してやっているから存在している/ここ数年の不毛は、わざわざ悪魔を蓄えた奴がおれに愛されることを拒絶ないしは躊躇することから起こっている、どんなアホな流儀があるのか、一顧だにする価値もない。

おれの愛以外に存在を言い張るから呪われる。

すべての存在の、形式および存在度は、おれがその対象をどのように愛するのかで決定するのだ、そこに茶々を入れるからすべてが行方不明になる/スポーツ選手がスコアの反映だけで存在するように、この世界のすべてはおれの愛の反映だけで存在する。
それはつまり、おれが主体的な存在だということを意味している、どんなカミサマだって、この「主体」の代替はできない。
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