☆いい女☆で行こう!

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渋谷ハロウィンを見物してきた
願だった渋谷ハロウィンに物見遊山してきた。
なぜ念願だったかというと、昨年までは、親族で年中行事の法事があり、10月末は身動きできなかったのだ、今年からはそれがもうないので……原付で二駅も走ればもう渋谷だから、混雑にも巻き込まれずに済むと、気楽に見物に行った、時刻は22時半ごろにした。
当地に着くと、交通規制はごくごく一部で、あの人数を、うまく強引に、センター街に押し込んでいると思う、近場に原付を停めて歩行者に紛れると、渋谷駅の南口あたりは通行に何の支障もない日常ていどで、ハチ公前からセンター街に渡るスクランブル交差点だけは、いわゆるすし詰め、芋の子を洗う状態だった/外国人の方々が多く、外国人の方々にとってこの日は居心地がよいのだという印象も受けた。
今年から、路上飲酒が規制されたからというのもあると思うが、人々はきわめて善良で温厚で、穏やかで秩序を守っていた、「ハメを外す」なんてとんでもない、十代から二十代がほとんどだと思うが、彼らは誰も「ハメを外す」なんてことはできない、ハメの外し方なんか習っていないだろう/いつぞや二十年前に巻き込まれた、インド・バラナシのフェスティバルのほうがよっぽどハメを外していた、何しろ渋谷ハロウィンはタクシーの車内に爆竹が投げ込まれたりはしないし、追い立てられた牛の集団が人を殺す勢いで走り抜けていったりはしない。

なんというか、予断に反して、実際の現場は「おだやかなもんだね〜」というのが、僕の率直な感想だった。
みんな、面白い仮装をしている人は、通りすがりの人たちに「ウケたい」という一心だ、そしてあわよくば、いい展開があればと期待して、ささやかな下心を潜ませているのだろう、そりゃそうだ、彼らは大道芸の求道者たちではない/それらはすべて、平和で、かわいらしいもので、そうした若い人たちが一堂に会せるのは貴重な機会だと思う。
どうせイベント後のゴミの山積が問題になるのだろうが、僕の率直な感想としては、あれだけの人数があんな小区画に押し込まれて、好んで暴力を振るうでもなく、報道されているていどのゴミの量だけを残していくのは、やはり日本人がたぐいまれなる温厚さと良識の民族だからなのだと思う、そのへんのシャッターを破ればすぐに少額とはいえ富が奪えるのに……/実際、条例で路上飲酒が規制されると、そのとおり路上飲酒を控えるのだから、きわめて善良で従順な、素直な人たちだと思う。
一方で、これまで歴史上で起こってきた暴動について、暴動というのは善良な人々が起こすのだという、なぜかインスピレーションも受けた、もともと悪逆な人たちはふだんから抑圧というものを形成していないので、きっと暴動を起こす当事者ではないのだ、善良な人たちこそ、その善良さゆえに内部に抑圧を形成することになる/つまり渋谷ハロウィンに集まっているような人たちは、とてもかわいらしいながら、行き着くところ「どうすればいいかわからない人たち」という面があるのだ、もし彼らに投石を始めるように扇動すれば、「どうすればいいかわからない」彼らは、その場のムードに合わせて、自ら投石に加わるしかないのだろう、「どうすればいいかわからない」のだから……それが「善良」ということの一側面で、その善良さにおいてこれまでいくつものことが起こってきたのだという気がした。

渋谷ハロウィンは最高の秩序を保っている、これからもできるだけ続いてほしいと願う。

実際、善良でかわいらしい人たちばかりで、「どうすればいいかわからない」という率直さのまま、とりあえず集まっているというのは、本来でいえば大学のキャンパスのような、可能性の場を形成していると思う、それが大学のキャンパスでは実現不可能になったのは、規制の締め付けが強くなったのと、単純に少子化によって人数が少なくなったからだ、今や渋谷ハロウィンのように若い人たちが高密度に集まる機会は稀少なものだと思う、これを焼き払うようではもう続く世代への祝福など一ミリもなくなってしまうだろう。
セクシーな格好をした若い女の子がいて、写真で見るとそれをビッチ呼ばわりする人もあるが、実際にはそんないかがわしいものではない、むしろ本物の淫蕩を見たことがないから、いちいち目くじらを立てられるだけだ/万事がそうしてかわいらしいものばかりだったので、僕は勝手に楽しい夜になりますようにと祈って帰った、ゾンビの格好をしているかわいい女の子たちが、本当の人の獣化・グール化に直面することが生涯ないことを祈った。
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