☆いい女☆で行こう!

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ワレが祈って為されるのはワレの望みじゃねえよ
まり、ありて無し、無くてこそあるというのが「祈り」ということか。
このところ、ヘンな話ばっかりですまない、けれどもこれはおれが書いているのではなくて、書いている内容がおれを引っ張っているのだ、おれが書く内容を操作しているのではなく、逆だからしょうがない、書く内容がおれを操作している、おれは「はあ、なるほど」としか思っていない。
先日、パーティあたりで「我求める、ゆえに彼あり」という言い方をしたが、本当はそうして「彼」があるのであり、「我」というのは無いのだ。
われわれはアホなので、カミサマの存在・不存在のことばかり考えるが、これは考える土台じたいが論外で、不存在なのはわれわれのほうだ、われわれこそが「無い」のであって、その無い奴がカミサマの存在うんぬんを議論するのはまさにアホの極みと言える、だがこのことを何百年でも振り回すのだ。

我が「求める」ということ、そして求めるということは「祈り」ということだが、祈るということは彼があって我が無いということだ。
よって「祈り」というのは、我が求めることによって彼の望みが叶えられるということになる、だって祈りが成り立つとき「我」は存在しないのだもの/じゃあ誰が主体なのかというとやはり「彼」になる、「彼」が主体であって彼の望みが叶えられるということ、それですべて整合するが、これにブーブー文句を言う人はけっきょく「彼」がただのイメージ物のニセなのだと思う。
おれには他の誰かがいる気はしない、ニーチェは「地獄とは他人のことだ」と言ったが、まさにそのとおりで、おれには他の誰かがいる気はしないので、地獄的なものはない、ニーチェは他の誰かがたくさんいるように感じていたので、地獄まみれだったのだろう、最期は狂死したと言われている。
そうか、だからこそ、おれは「他人」というものへ扱いが厳格なのだ、おれにとって「他の誰か」を設定しろということは、その人に向けてはあらゆる祈りを捨てろということに他ならない、祈りのない世界はすべて「我」と「他の誰か」だけに分割される、そりゃ確かに地獄だな、「我」と「他の誰か」ってつまり、徒党を組むかバトルしてマウントしあうかのどちらかしかないものな/うーんおれに限っては、他の誰かがいる気はしない、おれはそうしてハッピーボーイなのであろう、ワオ。

我が祈ると、彼の望みが為される。

だから、仮におれがガチ祈りを成立させられたとしても、祈りが成立する「彼」の側が、おれをスッテンテンに滅ぼすことを望むのであれば、そのときはしゃーない、おれが祈るということは彼の望みが為されるということだから、そこでオーマイガッになる場合はしゃーない、それが気に入らん奴はそもそも全部自力でなんとかせいという話だ。
「ありて無し、無くてこそある」のが祈りで、「ある」と「ない」を同時に成立させるのが彼だから、おれはこの世界に何かしてはいけないわけだ、たとえ善行でもおれが何かをしてはいけない、「おれ」がやる以上はすべて誤りなのだ、「彼」がやることだけが正しくてまともだ、よって偉大なるおれさまは何もしない上に同時に何もかもやっちゃおうということなのだった、わけがわからないことはまったくなくてこれですべて整合している。
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