☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
<< ワレが祈って為されるのはワレの望みじゃねえよ | TOP | 祈りと祝福の原則/1.「何にもならない」ということ >>
世界一の美女が初音ミクのようにウソだ
界一の美女は、世界一美人だろうが、外形がどれだけ美人でも、その中身が空っぽという可能性はある。
たとえば「初音ミク」はボーカロイドとあって、初音ミクは主体性を持たない、ただのシンセサイザーだ、それと同じことがDNA由来の生きものでもありうる。
つまり、ただの美人な「生きもの」というだけで、中に何もない可能性があるのだ、可能性があるというか、今ほとんどの場合でそうだ、中身は空っぽ、あって当たり前ていどの主体性も実は具わっていない、きっと「主体性」という現象に根こそぎ見放されてしまったのだろう。
「主体性」という現象は、けっきょく「求める」「祈る」という形態でしかありえず、生きものが「欲する」という現象とは性質じたいが異なる、どんなブスでもスターダムに立ってスポットライトを浴びたがるように、世界一の美女でもスポットライトを浴びたがるということにすぎない、それはスズメバチが腐肉に群がるのと現象として違いはない、「欲する」という生きものの性質は業(カルマ)であって主体性ではない。

もし「主体性チェッカー」みたいな機械があって、測定してみれば、主体性なんか誰も彼もゼロだろう、数値を示す針はピクリとも動かない。
もちろん、初音ミクに主体性チェッカーを当てたとしても、針はピクリとも動かないだろう、だから同じだ、主体性のないシンセサイザーと、主体性のない生きものがあるのみで、前者が電器で作られており、後者がタンパク質で作られているだけでしかない。
中身が空っぽということを、悪く言っているのではない、ただ誰にとっても「やべーじゃん」ということしか言っていない、主体性を得るためには誰かを愛するしかなく、その愛した誰かがやがて主体性の根源とつながっている必要がある。
「主体性」という現象は、生来的に与えられるものではなく、誰か・何かを「愛し」「信じ」「求め」「祈る」ことで、その愛した先がアタリだった場合のみに、祝福として与えられるものだ、主体性につながりようがない初音ミクを愛しても主体性は得られようがないみたいに、ハズレのものを愛しても主体性は得られない、だいいち主体性はほとんど聖霊の庇護と同時にしか得られないので、鼻息をフンガーとやっても生きもの度数が上がるだけだ。

「生きもの」が「欲する」だけの世界を眺めていても、ビオトープを眺めているのと同じなので、もう何の意味もない。

ガキが基礎知識を学ぶためならまだしも、そんなものしばらく生きていたら誰でもわかる内容なので、いちいちつぶさに眺めて知る必要はない、どんな外形上の美女も、生きものとして「欲して動く」だけなら、眺めていて実につまらない、まして傍に飼ったり連れ回したりしてもストレスになるだけだろう、そして実際それがストレスだから、芸能人やセレブスターたちは離婚を繰り返すのだろう。
おれは何かの悪口を言っているわけではない、ただ「主体性」という現象について話している、もう誰も主体性の現象につながれなくなったので、誰もが「我」を燃やして、けっきょくは「生きもの」が「欲する」ということにブーストをかけているだけだ、そりゃ中が空っぽなら容れ物の「生きもの」を燃やすしかないものな、おれは決して悪口を言ってはいない、おれは少しでも祈っているだけだ。
正しく見ないとな | comments(0) |
コメント
コメントする










| /PAGES |