☆いい女☆で行こう!

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祈りと祝福の原則/2.下が上を「使う」ということ
が上を使うということ、もちろん使いっ走りをやらせるということではなく、その御名や存在を使うということ/偉大で無限・永遠のものはいくら使ってもなくならないので、使えるならガンガン使ってよい。
下が上を使うというのは、下の者が「自力パワー!!」でがんばっても無理だから、上のものを借りて使うということ/自力パワーで極楽浄土に至れる人は阿弥陀如来の力を借りる必要がない。
偶像を立ててそれを拝み倒すというのは、あまり有益でないというか逆に危険だと思うが、そのことはさておき、上のもののパワーを使わないならそもそも祈るということが成り立たない。
下が上を使うというのは、何もおかしくない、たとえば受験生が試験を受けるのに、予備校の講師が教えてくれた解法を「使う」ということだ、解法を必要としないド天才なら、何も上のものを使わず自力で解けばいい/たとえば数学者ガウスなら、子供のころにも入試問題なんか自分で直接解いただろう、だがわれわれはガウスではないので上のものに与えてもらった力を使う。

かなり多くの人が、自分のことを「祝福を与える側」だと誤解している。
だから芸能人が結婚すると、「末永く押し合わせに」と、勝手に祝福パワーを送っているつもりでいる、けれども下のものが上のものを「祝福」する力はないので、こんなことをやっていると自動的に呪術者になる、呪術というのは当人が呪われていないと出来ないので、知らないうちにゴリゴリに呪われている自分になる、そうなるとふつう生涯復旧できない/偉い人のことを「お祝い」するのはいいけれども、「祝福する」という感覚でいるのはとても危険だ(といって、当人はそれがアイデンティティになっているので、もうやめるにやめられないものだが)。
下が上を「使う」ということ、それを使わせてくれるよう「求める」ということが祈りであり、また求めればそれが使えるとなぜか直感できているのが「信じている」という状態だ、そして直感したとおりに(祈りが通じたときに)、上から与えられるのが「祝福」だ/祈りは下から上に向けられるものであって、祝福は上から下に注がれるものだから、この逆転だけはしてはならない(本当に大損する)。
つまり正しい「祈り」というのは、何のことはない、「絶対合格したいから学力くれ!!」と教えを乞うている受験生の形でよいのだ、ここで最も怠慢な祈りというのは、当人がそもそも合格するつもりがないという場合に他ならない、ぼんやりと「学力が欲しい」という願望は受験生なら誰でも持っているだろうが、そうではない、はっきりと「求め」、それを「使おう」としている者が、正しい「祈り」を持つ者だ/だからたとえば故人の冥福を祈るという場合、気持ちとしてはわかるが、祈りの本質においては意味がない、そうではなく「自分が死んだときに冥福ゲットしたいから!! 導きプリーズ!!」というのが正しい祈りだ、ただし人はそこまで自己の傲慢をなくせないもので、実際にそのようにしうる人はとても少ない。

上に「求めまくり」、そのまま「使いまくる」人は、自分の小ささを認めている人だということ。

けれども、実際には自分を小さいと思っている人はとても少ないので、大半の人が自分は祝福を「与える側」だと誤解しており、だからこそどのように祈り倒しても、それは願望をムンムン念じているだけで何の効果もない、効果がないどころか逆効果で、祝福どころか呪いでタプンタプンになるので、たいてい宗教にハマっているおばさんなどは、見るだけでもおっかないブツになるのだ、人の家のドアをノックして宗教に勧誘してくるおばさんたちは、自分でカミサマの国のドアをノックして「プリーズ!!」と求めるつもりがまったくない。
ウソ発見器にかけてもらってもいいが、おれはこんなわけのわからん文章を書くのにでも、自分では書けないしまともな文章になりっこないので、上に求めまくり、それをそのまま使いまくっている、この偉大なるおれさまがこんな面倒なことやれるわけがないだろう、実際おれはいつからか、びっくりするほど祈り倒すのみで文章を書いている、なぜ書いているかというと、祝福が欲しいからというだけで、他の理由はまったくない、そして祝福が欲しいならこうして書くことをしなくてはならないということは、祈りの具体として必要だということはなぜかわかるのだ。
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