☆いい女☆で行こう!

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パーティ報告100(1)/おれが遊んだという事実は消えない
ーティが第100回に到達した。
第一回は2004年のことだ、2004年といえばもう大昔のことで、何しろニンテンドーDSとプレイステーションポータブル(PSP)が "発売" された年だ、映画は「ラストサムライ」とかのころで、サザンが「君こそスターだ」を出して、世間はアテネオリンピックで「チョー気持ちいい」、「ヨン様」が流行して「マツケンサンバ」が流行って邦画は「半落ち」でドラマは「セカチュー」だ、古代も古代、もう白亜紀より昔に感じる。
2004年というと、つまり若い世代はもう記憶にないというか、まだまともに物心もついていないほどの昔ということになるが、我ながら執念深い話、わたしはそのときから現在までずっとひとつのことを追いかけてきたということだ/よもや今の時代、ヨン様のころから何かひとつのものを途絶えず追いかけ続けてきたという人はあるまい。
わたしにとっては、誰にも知られなくていい話、 "あのとき" の自分から今日の自分までが、途切れずに続いているということになる、わたしが何のために100回および次の101回にも続いて遊ぼうとするかというと、 "あのとき" の自分を裏切りたくないからだ、あのときの自分に対して現在も、「はあ? 今もこのとおりやってますけど?」と悪辣な態度を向けたい、わたしはタチの悪い奴でいたいのだ、目を細めて昔のことを遠く見遣るなんてことをわたしは決してやりたくない。

わたしはタチの悪い奴なので、たとえば「継続は力なり」というと、わたしはただちに「いや、力なんか要らんので」と答える/継続が力になるのだったら、じゃあ継続はやめようね〜と悪態をつきたおすのがわたしだ、わたしは邪悪がしたいのではない、ただわたしは自分の人気を落としたいだけだ。
パーティは第100回まで継続したように見えるが、そうではない、第100回は一回目なのだ、そりゃそうだ、二回目の第100回ということはない/第一回は一回きりだし、第100回も一回きりだ、2020年の1月20日も一回きりだ、どうねじくってももう一度この日がやってくるということはない、すべてのカレンダーは必ず使い捨てでしかありえない。
次は第101回になるのだが、おれにとって第101回は初めてのことだ、つまり初回ということであって、わたしは初回を積み重ねているのだ、つまりあのときのアホがおっ始めたことを、今も続けているというのではなく、今もそのおっ始めるアホが変わっていないということだ、わたしは何かを二回目まで繰り返したことが一度もない。
「継続は力なり」というと、つまり「力に依存してるんすね!!」と言いたくなるのがわたしの性分、わたしは力なんか持たずに他人をやすやす踏みにじるのが好きだ、力ある人はむろんわたしをつぶせると思うが、それはけっきょく「力に依存しているんすね!!」という指摘を自分で上塗りすることにしかならない/ニンテンドーDSが発売されたころから、あるいはさらにその以前から、わたしは商業や共同体に自分の所属を決められるのがきらいで、そうではないわたし自身の声で自分の遊ぶ人を決めたかった、そして現在確かに、何の商業にも共同体にも関わりのない、ただおれの声とそれを聞いた人が遊びに来てくれている、理由は特にない、理由は特になくて、ただあるのは一般に人は生きているうち一度たりとも自分限りで人に出会うなんてことなんてないという事実だ、わたしにはどうしてもそのことが耐えられなかった。

「過ぎ去りし過去」は世界で一番ダサい。

「過去」というのはそのとおり「過ぎ去ったもの」ということだが、過ぎ去ったということはつまり消えて失敗したということだ、それはダサいということだろう、人はわたしに「なぜ過ぎ去らないのだ」と訝しめばいい、わたしは過ぎて去るようなものは初めから出会わないし認めもしないのだ/わたしは何も保存する必要がない、なにひとつ過ぎ去らないのなら保存する必要がない。
この世はすべて泡沫の夢というが、それはただの失敗野郎の自己防御の捨て台詞にすぎず、この世界には永遠のフィクションが輝き続けている、それがわからん奴は二度と口出しするなよ☆、わたしがこのように遊んだということは永遠に消えない、銀河系が吹っ飛んでもおれが遊んだという事実は永遠に消えない、おれには万感の思いというような性質はないが、ただこのようにどうつついても変わりようのない事実が欲しかった、わたしはこのように本当に遊びやがったのだ。
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