☆いい女☆で行こう!

   〜オトコ視点からの、恋愛の知恵ノート。 Copyright 2007 Quali,
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私がアガって世界がサガる
でもしんどいときがあり、エネルギーが足りずに苦しむ、そんなときどうしても「私」をアゲないといけない。
「私」をアゲるにはどうするか、たとえば電動マッサージ器を股間に当ててオーガズムを得るときたいてい「私」がアガるのだが、その他にも色々、筋トレとその成果を確認したり、SNSで「いいね」をもらったり、内心でいろんな妄想や空想、何かありもしない差別やマウント意識を奮い立たせると「私」がアガる/今多くの人が、そうして「私」をアゲることで毎日を食いつないでいる。
しかし結果的に、「私」をアゲることで、当人はしんどくなるのだ、この現象を「罪」という、一般に知られている社会的・法的な罪とは別の、魂の罪だ/「私」をアゲることで、一時的にパワーが得られるのだが、そのぶん世界は汚らしく淀み、結果的にしんどくなる、この仕組みはほとんど誰にも知られていない。
しんどいときは「私」をアゲる、無意識に誰もがそうしているのだが、そうして「私」をアゲるときには、「世界」をサゲているのだ、「最近の男ってさあ」と言うとき、「私」はアガるのだが、「世界」はサゲているだろう、そうして彼女は今日からまたワンランク下がった世界を生きねばならないのだ、自分をワンランク下等な世界に生きるものにしている、そのことを無意識に何十万回と繰り返して現在に到っている/だから今朝も明日も明後日もよろこばしくはなく、明日もまた同じように「私」をアゲて「世界」をサゲるのだ。

表面上、「罪」をやれば元気になるのだ、元気になって強くなる、自信も得られる、そして今日を生きていけるようになる。
でもそれは、「罪」というのがつまり、「私」をアゲて「世界」をサゲるということだからだ/主たる「世界」をサゲて、激情のサタンと傲慢のルシファーに供物を捧げることで、褒美として「私」がアガり、力を得て元気になり自信も得られる、当人は何も悪いことはしていないつもりだが、当人がどんな「つもり」でもそれは魂の「罪」を構成する、こんなこと誰も気づくわけがねー。
おれは常々、自分のことを「偉大なるおれさま」と言い、まあ天才だからな〜と嘯いているが、このことでわたしが罪を帯びないのは、わたしが言うところの「おれ」というのは、天のもの・天才であって、一般的な私心を指す「私」ではないからだ/わたしはあなたのことをバカにしているのではなく、「私」をサゲて「世界」をアゲているのだ、そうするとサタンルシファーから褒美はもらえないのだが、そのぶん反対のものから祝福がもらえる。
「私」をアゲるということは、同時に「世界」をサゲるということであり、それは自動的に「罪」になる、この場合の「罪」とはいわゆる「悪いこと」ではないというのがポイントだ、誰も悪いことなんかしていない、ただ「罪」とは「悪いこと」と思い込まされたことによって、だまされ続けてきたにすぎない/「罪」というのは「悪いこと」ではなく「正しくないこと」だ、「正でなく逆のこと」およびそれによってもたらされる現象のことを「罪」と呼ぶのだ、だから何も悪いことをしていないあなたがすさまじい罪にまみれているのは何の不思議もない。

わたしは王の世界におけるゴミだが、誰かはゴミの世界における王だ。

「王の世界におけるゴミ」と、「ゴミの世界における王」は、どちらが勝るのか? という問いだ、まあその問いの答えにわたしは興味がないが、わたしは王の世界におけるゴミという立場であって、他方の事情がどんな具合かは知らないし、わたしが知っても意味が無いことだ。
それにしても、わたしは「偉大なるおれさま」と言うわけだが、それはわたしが王の従僕であって、王の命令から逸脱した「私」なんか持ち合わせていないからだ、わたしを支配している王の命令をもって「偉大なるおれさま」と言っている/つまりおれのようなゴミでも、王の命令があれば偉大になるということだ、「控えおろう」というやつ、ゴミのような町人でも三つ葉葵や「御用」のマークを持っていたら人々が「へへー」とひれ伏すように、王の命令を受けている以上は偉大なるおれさまだ、これがゴミの世界の王とどう対立するのかは知らないが、その二つはどうしたって戦(いくさ)になるしかないのだ。
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